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素朴な疑問

1823犀角独歩:2004/10/29(金) 09:29

1821 きゃからばあさん:

この相違は確かに興味深いですね。
弘安3年5月9日禅師授与漫荼羅の動向は如何にも奇怪です。
そもそも北山が売ったはずが、今でも北山にあること自体、不可解です。
けれど、山口師は石山に無しというわけですね。

余談ながら『学林秀輯葉巻之廿二/遠霑講寺沙門完則鳩集』では

1.戒壇板本尊 長4尺7寸5分 横2尺2寸5分 厚2寸2分
2.紫宸殿本尊 3枚綴り
3.建治元乙亥11月御本尊 3枚綴り
4.病息消滅本尊 建治2丙子8月13日/号死活本尊
5.重須本門寺本尊 弘安3辰11月/日増授与
6.妙一授与本尊
7.紺帋本尊文永甲子2月15日
8.日月四菩薩御本尊
(『日蓮聖人の本懐』P188)

となっていました。(見習ってわたしも通し番号を振りました)


1822 頭角無類さん:

こちらこそ、御礼申し上げます。

> 原本資料の検討というのは最も大切

まったくもって仰るとおりであろうと存じます。
ただ、禅師授与漫荼羅については、石山蔵の写真を手にしてからと考えております。

> 出もとを隠すため、本門寺等々の文字を「削損」

なるほど。これは一つ考えさせられるところでした。

一つご賢察を窺いたいのですが、禅師授与漫荼羅が北山を離れた時期、また、法道院に渡った時期はおよそいつ頃とお考えになりますでしょうか。


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