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素朴な疑問

1821きゃからばあ:2004/10/28(木) 12:03

過去ログにありましたらゴメンナサイ。
『富要第8巻』と山口範道さんの『日蓮正宗史の基礎的研究』を比べてみました。


『富要第8巻』(番号は私が付けました)

大聖人御筆漫茶羅の分。

1.建治元年太才乙亥十一月日 総本山。
2.建治二年太才丙子八月十三日 同上。
3.弘安二年太才己卯八月十八日、沙門佑盛日合に之を授与す、 同上。
4.(楠板彫刻戒壇大御本尊)
  右現当二世の為に造立件の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白、弘安二年十月十二日、 同上。
5.弘安二年太才己卯十一月日、俗日増に之を授与す、(開山上入御加筆)本門寺重宝たるべきなり、 同上。
6.弘安三年太才庚辰二月日、(開山の加筆あり明らかならず) 常陸永井藤蔵。
7.(紫宸殿御本尊と伝称す)弘安三年太才庚辰三月日 総本山。
8.弘安三年太才庚辰卯月日 下総富久成寺。
9.弘安三年太歳庚辰五月九日、比丘日禅に之を授与す、(日興上入御加筆右の下部に)少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺に懸け奉り万年の重宝たるべきものなり。 東京法道院。

10.弘安三年庚辰五月廿六日、沙門民部日向に之を授与す、 総本山。
11.弘安四年太才辛巳四月廿五日、(開山上入加筆)摂津公日仙は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、 東京常泉寺。
12.弘安四年太才辛巳□□□□□、日教に授与する者なり、 加賀妙喜寺。


ところが、『日蓮正宗史の基礎的研究』掲載されているものと比べると、

3番はなぜか見当たりません。
6番は「大石寺所蔵」に変更(この御本尊は昭和45年4月1日に総本山へ納められています。)
9番はなんと北山所蔵になっています。これは法道院より昭和45年3月19日に総本山へ納められたはずなのですが、大石寺所蔵には見当たらなくなっています。
そしてさらに驚くことに「弘安三年太歳庚辰卯月日 比丘日禅授与之」という御本尊が大石寺に所蔵されているようになっています。

つまり「比丘日禅授与の弘安3年5月9日の御本尊」は、法道院より納められてにもかかわらず、現在では大石寺の所蔵に無く、新たに「比丘日禅授与の弘安3年4月日の御本尊」が所蔵されているとしているのです。
もちろん他にも後から納められた御本尊が掲載されているようですが、法道院より納められた「5月の御本尊」は無く、「4月の御本尊」が現われたのには、不可解です。


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