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素朴な疑問

1818犀角独歩:2004/10/27(水) 14:10

頭角無類さん、毎日、有り難くご投稿を拝受させていただいております。

> 北山蔵と大石寺蔵の「日禅師授与本尊」には何らかの相違点がある

ええ。わたしもこの点にはもちろんのこと、注目しております。
亨師のご研究を見れば、両漫荼羅の相違については、その加筆のみの相違が読み取れるばかりです。

この点は現宗研の講演では話しました。

「弘安3年太歳庚辰5月9日、比丘日禅に之を授与す、(日興上人御加筆右の下部に)少輔公日禅は日興第一の弟子なり仍て与へ申す所件の如し、(又同御加筆御華押と蓮字と交叉する所に殊更に文字を抹消したる所を判読すれば)本門寺に懸け奉り万年の重宝たるべきものなり。 東京 法道院」(冨要9-178)

「弘安3年太歳庚辰5月9日、比丘日禅に之を授与す、(御判の内に他筆にて)本門寺に懸け万年の重宝たるべし、(伯耆漫荼羅と称す)」(富要8-215)

先に愚鈍凡夫さんの応答でも触れた点です。
興師の言を信じる限り、興師加筆は石山蔵です。となれば御筆はこちらかと思いたいところですが、重要な「本門寺に懸け奉り万年の重宝たるべき」が削損され、北山にはしかし、その加筆があるといいます。さて、どちらが御筆か、もしくはと思惑は巡りますが、興師の仰る如く、これは将来に託された研究課題の一つと思います。


> 山中喜八氏の『御本尊図集解説』…『經』…聖筆の真偽を判じ

ええ、この点はわたしも、半年前にアップしてこの点を指摘しました。
これは頭角無類さんがご指摘くださった論点とまた違うのですが、わたしはこの「經」字の筆法を以て、少なくとも彫刻本尊原本は弘安2年10月の特徴を示していない点を主張したものでした。
以下、転載です。

―― 「板本尊『経』の止筆は偽作の証拠」という1項には頷けるところがあった。

 安永は「経」の一時に着目する理由を以下のように説明する。「立正安国会の山中喜八氏が大崎学報で述べているように、経の字の変遷は『聖筆ノ真偽ヲ判ジ、或ハ臨ぼ(リンボ=見て写すこと)作為(サクイ)ヲ弁別(ベンベツ)スル場合ハ、第一ニ考察スベキデアロウ』と述べているように、経の書体の年代的相違は決定的なものである」

 そのように紹介したうえで、弘安2年における日蓮の「經」の筆法は、旁の「工」の三画は止めずに細く伸ばしている点を挙げる。(これを日蓮門一般では「光明点」という)そして、安永は「光明点は先が、尖っている」が板漫荼羅ではそうなっておらず「規格に反して太く止められている」と指摘するのである。

 これは実に重要な鑑別識である。写真で見る限り、確かに經の最終画は止筆になっているように見える。仮に止筆ではないにしても、同時期の光明点のように細く長く伸ばして書かれていないことは動かない。

 この点を弘安2年11月御筆漫荼羅(No.69)で比較してみよう。上図、左が板漫荼羅の「經」、右が真筆の「經」である。たしかに同一書体とは見えない。筆法の差は歴然であり、板漫荼羅の字体は弘安2年という時代性を反映していない。このことから安永が言う如く、とても弘安2年の筆とは見えない。

 また、『「ツ」の字形の経は弘安二年のものではない』という1項も設けている。「板本尊の旁(つくり)は片仮名の「ツ」の字の如くに、筆が切られている」という。この安永の指摘もまた頷ける。真筆では一筆に流麗に書かれるが、板漫荼羅は「ツ」様に彫られている。

 こうして改めて板漫荼羅の相貌の全体を見直すと、御筆漫荼羅と比較して、全体的な構成に大らかさがない。日蓮御筆の特徴とも言える紙幅に縦横無尽に筆をふるった闊達さがない。全体的な構成も著しく相違し、中央題目と花押が大きく場所を取り、弘安2年当時の特徴を示していないのである。 ――

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/itamandarasingi.html


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