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素朴な疑問
1815
:
愚鈍凡夫
:2004/10/27(水) 07:46
犀角独歩さん、
お忙しい中でのレス、有り難うございます。
その時その時で、都合のいいように解釈していくから整合性がなくなってしまうんですよね。
勉強中さん、どうも。
小生と違って真摯な態度で教学と取り組む姿勢、凄いと思います。
> 佐藤教授の論文から「本御影堂」ではなく「御本尊堂」が正しかったと記憶していますが違いましたでしょうか。
この見解が正しいとすれば、副書が蓮祖の正筆であることに疑いを持ってしまいます(結果的に御影堂の場合でも同じですが)。理由は、蓮祖が一つの漫荼羅にだけ、特別な意義を持たせるとは思えないからです。
紙幅であることを考えると、果たして千年もつでしょうか?
そして、聖滅後、紙幅の漫荼羅にもしものことがあったらどうするのでしょうか。
やはり、本門の戒壇を備えた本門寺本堂の本尊は、仏像ではないでしょうか。
蓮祖は、仏像に添える脇士によって本尊の差別化を図り、本門の教主釈尊を現そうとしていたのではないかと思います。法華経の虚空会をモチーフにした、蓮祖独自の虚空会がイメージとしてあったのではないかと想像します。
れんさん、どうも。お忙しそうですね。
小生は最近、初期興門派が仏像正意であったことに注目しています。これは蓮祖が生前、漫荼羅を示しながら、弟子たちに本門の本尊の立体像を語っていたからではないでしょうか。
予算を含めた諸般の事情から、それがいつしか漫荼羅正意へと変遷していったということではないかと思っています。
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