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素朴な疑問
1812
:
犀角独歩
:2004/10/27(水) 00:40
愚鈍凡夫さん、さすがの問題意識。
> 日禅授与漫荼羅には、「本門寺に懸け万年の重宝たるべし、」と記されている
ええ、北山蔵はそうなっていました。
ところが石山蔵では、この文が反対に削り取られているわけですね。
> 日禅授与漫荼羅を「戒壇之本尊」
そうなんですよ、『大石寺誑惑顕本書』に「万年救護」「戒壇之本尊」とありますね。
亨師は伯耆漫荼羅と伝承と記していました。
> 「本門戒壇」の「本尊」とは、本門寺の戒壇堂に安置する本尊という意味
そう、ここですよね。つまり、本堂用の本尊と戒壇院用の本尊が別に必要になることになります。そのほかに御影堂となりますね、ここには御影。本堂は他門では当然、釈迦像でした。
で、石山の話ですが、精師は御影堂と本堂と、おまけに戒壇まで三つ併せて堂宇を建立。これと関連するのかどうか知りませんが、建った門が三門。
そこで正本堂が建ったとなると、御影堂は単なる御影堂に戻ったことになり、正本堂は本堂+戒壇の意義付け。それでまた、この正本堂を壊して奉安堂にして本堂の意義がなくなったわけで、そうなると御影堂はまたもや、本堂の意義を吹き返したのか…、二転三転、ややこしい堂宇の意義付けの変遷が近代の石山事情の一側面であったりしますね。
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