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素朴な疑問
1811
:
愚鈍凡夫
:2004/10/26(火) 20:06
1280(弘安3)年日禅授与漫荼羅には、「本門寺に懸け万年の重宝たるべし、」と記されているようですが、この文を書き込んだのが日興師で、保田妙本寺の「万年救護本尊」の副書が蓮祖の正筆であったとすれば、何故、日興師は「本門寺」の何処に懸けるのかを示さなかったのでしょうか。「万年救護本尊」は、「本門寺」の「御影堂(誰の御影かは別として)」と場所の指定があります。日興師の性格からすれば、蓮祖に習って「どこそこに懸け奉るべし」との指定があってもおかしくはないと思うのですが。
このことは、「万年救護本尊」の副書の存在を日興師が知らなかった、もっと妄想を膨らませれば、副書は日興師の時代には存在しなかったということではないでしょうか。
少なくとも、傍証ぐらいにはなりそうに思います。
以前にもあった疑問ように思うのですが、
北山では日禅授与漫荼羅を「戒壇之本尊」と称するそうですが、「使い回しかい」とのツッコミがありそうですね。 (^◇^;)
ところで、「本門戒壇」の「本尊」とは、本門寺の戒壇堂に安置する本尊という意味でしょうね。
ならば、本門寺の本堂に安置する本尊は?
まるで、疑問の堂々巡りですね。困ったもんだ。 ( ̄ヘ ̄)ウーン
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