したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

178ワラシナ:2002/07/28(日) 16:01
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 3」
*アネモネさんへ

6、4/3以上が理想達成レベルを目標にした場合には「信心即生活」が失敗しているとは
確かに思い切った表現であるが、これはあくまで自分個人の活動経験的な観察に基づいていったものにすぎない。
それによれば、信心即生活が文字どおり理想的に達成されるのは出家者だけで、在家信者がそれを深刻的に目指そうとすれば必ず信心か仕事のどちらかが犠牲にならざるを得ない仕掛けになっている、と観察されたのである。
そこそこに暮らしてる、或いは理想的なレベルで信心即生活の実証を示せた模範信徒の事例でも、よくよくみれば、職業的成功へと導いた要の兵法としては、「戦略レベルで信心を根本にした」上での「戦術レベルで仕事最優先」の政策を採った為ではないかと思われたのである。

問題はここに在って「戦略レベルでの信心根本」と「戦術レベルでの仕事第一」「戦術レ
ベルでの信心第一」の三つの関係、差異が日々月々年々の節目節目で錯綜した形で顕れて要領よく応用するのが難しい事なのである。

だから、「戦略レベルでの信心根本」と「戦術レベルでの信心第一」とが一緒になると「信心第一」という心情は気持ちだけでは済ま無くなってそのまま「生活時間の拘束の一番手に信心活動が位置する」という物理になってしまう。こういうときも必要だろうが何時もこれでは苦しくなる。 上の信心第一の「第一」をさらに内面的な精神活動に理解すれば信心活動で心の中も体も
すべて第一番に占められている状態が「信心第一の生活」なのである。
一体こうなった状態のどこに職業生活上の目標達成が第一順位に置かれていようか。

さて、現代では、よりよい職業生活上の創意を実現する為に必要な非営業的な社交がますます重要になっているのが今日のビジネス社会の特徴であって、その中での生き残りの為にもかっては軽視されていた趣味や私生活の充実が求められてきているのである。

だから、世間での稼ぎで苦労してる在家信者はこの事を本能的に知っていているから、ケースバイケース、で、生活態度の根本順序を「(そこそこの信心を根本にした上での)仕事最優先」に置いていると思うのである。

7、こうでもして、お茶を濁した生き方をしなくては、社会人としての必要な健全なバランス感覚が失われてしまうであろう。
いや肝心の布教を理想的な自然な形で実現するためにもこれからは益々「職業生活上の充実」が必要になってきているのである。
寺院の荘厳さだけが無言の折伏になっているのではなく、信者が失業しないで非信者より小遣いのゆとりがあり、この不況の中でも家族で旅行をたのしむほど豊かな暮らしをしている、それでいて、根底の命に清々しいものが流れているような姿こそが、現代では最高の無言の布
教推進パワーになると思われるのである。

8、だが、現状ではどうか。個々の信者の資産を増大させるような政策が発想されているか。 またあこぎな観察かもしれないが、社会的な影響力が強い年収一千万以上の富裕層を積極的に育成していく発想があるか。デートにもそこそこにカネがかかる現状に於いてできるだけ多くの男女をいかに幸せな結婚に導いていくか、カップルを作っていくか、という発想があるか。

更に言えば現代では「職業生活を中心にした自己実現に最高の幸せを感ずるのが人間にとっての幸福」であって、在家信者にとっては特に肝に銘じていなければならなかった筈の上の「」内の一行であったが、これと青年期に出会った正宗信仰の幸せ観との微妙な「ずれ」の意味するものについて丁寧に説明されたことがあったか。(これが無いために思春期にこの信仰に入った人の中で、あるタイプの人は、合理的な割きりができず、二重基準がマイナスに作用して社会人としての成熟にブレーキがかかったようになる。)

全てが無い無い尽くしだが、先年亡くなったボランティア僧として異色だった松藤師(正
信会系のkagamiさんもみとめておられた)が私の不満に応えたような先駆的な思索と行動
の軌跡を残していることを正宗教団の名誉のために記し置きたい。(雑誌「道心」に論文がいっぱい残っている。)
(9−12最後へ続く)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板