[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
素朴な疑問
177
:
ワラシナ
:2002/07/28(日) 15:57
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 2」
投稿no108アネモネさんへ。私の抱いた素朴な疑問とその解法を解説します。
0、No91番での私の語句「あるタイプの在家信者が抱え込んだ理念矛盾」のなかの「あるタイプのとは、「聖職者が本分的に担うべき領分としての布教、信仰指導、興学など、を越境的に抱え込み僧侶もどきの思想信状で信仰する過剰適応症信者」を指します。
2、この場合、普段の精神生活では行動指針が二重基準になっていて、余裕のあるうちはやっていけそうでも、二者択一を迫られる局面になれば精神は破綻してしまう。
「金も信心も一緒に」というダブル基準では暮らしていけなくなってその理想が崩れてきてどっちかをあきらめざるを得なくなった。ダブル基準に徹しきれなくなっただけでも挫折なのに「金か信心のどっちか」という新しい択一基準で生きなければならなくなった、としたら二重の挫折である。
3、これは、このタイプの在家信者にとって理想信徒条件たる「信心即生活」がまっとうできなくなった事即ち敗北に等しい。
これは四重にきつくて在家仲間からは「信心さぼった罰」扱い、教団側からはその生活面において信心の実証を示せなかった「法を下げる恥
さらし」と両者から冷笑されてしまう可能性があるであろうし、さらに未入信家族からは「何が信心か!!」と糾弾を受け、自身に対しては「自分は今まで何をして来たのか」と多年に渡る信仰も挫折の危機を迎える、からである。
4、わたしは機関紙での体験発表にある「信心第一でビジネスの勝利者」の真実を疑るものではない。
だが、そのいわゆる信者の成功体験発表の事例を総量的に見た場合、「信心即生活」の勝利者(うまくやっていけた)は信者全体の4分の1位ではないか、と予想してみている。
大部分の4分の3は失敗しているのではないか、と推測している。ここで使った「失敗」とは「そこそこの暮し以下に成ってしまった」程度のものでは無く、「自分の描いた理想像に近い職業生活の未達成」を言う厳しい基準なのである。
5、これは実証的なデータを見なければなんともいえないから4分の1、4分の3の数字は推測としておきますが、定性的な考察2から推測したのである。
ここではまたそれを補足する意味で付け加える。まず、上に例で挙げた「ダブル基準に生きた信者」が「理念矛盾を抱え込んだまま」に等しい事を説明すれば、「出家の本分」「在家の本分」なる言葉を考えてみれば解かる。
在家も出家もそれぞれに相応しい本分が一つあれば沢山で、いかに思い込みは激しい在家
とはいえ出家の本分迄越境的に抱え込んでしまったことにも訳があるのである。
一つにはそのタイプの信者が在家主導型の講組織(学会、顕正会)出身である事が多いからで、これは、それらの組織に濃厚な、意図的に出家の本分を不当に貶める政策の悪影響を受けたからであろう、と思う。
(6−9へ続く)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板