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素朴な疑問
1685
:
ワラシナ
:2004/08/15(日) 15:44
(御返信2)
>生来の内向的で神経質な性格故にこうなってしまったものと思います。世の中の煩わしい人間関係を避けて、自分一人で信仰に励み、学問や芸術関係の仕事で生きていくことも認められていいのではないかと思うのですが、どう思われますか。>
賛成です。次のはある精神科医が或る統合失調症患者に言った言葉だそうです。
「(病気で貴重な青春をだめにし、社会的脱落者になってしまったその患者に対して)君のような人も世の中には居ていいんだよ。」
「(性急な治癒結果を要求するその患者に対して)君イ、この病気は言ってみれば(或る)性格みたいなものだんだ。性格が治るかね。」
>私は敢えて苦手な人間関係の仕事に手を染めた為に、大変な精神的苦痛を感じてきたのです。>
他人からひどい扱われ方をされ大変な痛手を負ってしまわれたような事、そして振り返ってみれば遅れを取り戻せない程の遠回りしてしまった、青春の貴重な時間を代償として失ってしまったような事、その二つの辛さが滲み出たような一文と思いました。
>ワラシナさんが紹介された精神疾患を持つ人達の中には、その人なりの生き方を認められれば、統合失調症や神経症を発症せずに済んだ人も多いのではないかと私は思います。>
素質という土台の上に、嫌いなものを無理してやり続ける負担が切っ掛けとなって発病にいたる、と一般論としていえるとは思っていますが、、、。
ただ統合失調症には思春期発病の「破瓜(はか)型」というのがあって、器質に病因を求めざるを得ない。このタイプを見ているとこの病気になるために生まれてきたと思えてしまうようなその人なりの自然さがある。幼児期に虐待を受けたわけでもなく結構大事に育てられていて、しかも嫌いなことを強制されていたわけでもなく本人も好きで何かに熱中していながら、しかも宗教入信以前に立派に発病するケースがあるからです。
この病の神秘的なのはこのタイプだといわれている。これから大人としての人生経験が始まる手前で突発的に発病するから。
突発的にある日頭の中の大事な成分が蒸発して真っ白けになったように「何も手がつかなくなる」、自分で自分の形がつかめなくなったような茫然自失状態に陥ったまま
になる。意思と努力では決して元には戻らなくなる。そもそも意思と努力が失われての発病だから。これに対して唯一、復元可能なのが向精神薬であるという事は、この病の病因が、物質的作用に依存している、事を示している、と考えます。
ここから、「その人なりの生き方を認める」方針の真実味は、発病に至る過程にブレーキをかける有効な予防策的考えというよりも発病後の治癒過程に対してこそ真実味が発揮されるように感ずる。
突発的に悪くなるまえより、病気になってから以降の、この病気を背負い込みながら暮らしていく治療生活の方が長く続いていくわけですから。
統合失調症と不安神経症を抱えた身近にいた或る患者の例を見ていると、統合失調症=原因、不安神経症=結果という形に見えました。
しかし、「その人なりの生き方を認める」方針の持つ予防策的真実味が確かにあると思う。それは、歪んだ信仰の障害の影響が(病因もしくは)契機になる実例があるからです。
比較的経度の統合失調症の或る人の例では、幼児期の頭部強打が原因と思われている、との事、しかも発病の切っ掛けがS会から受けた折伏だったというのですから「その人なりの生き方を認められれば、統合失調症や神経症を発症せずに済んだ人も多いのではないかと私は思います。」の発言には注目させられました。
この方の場合には幸い不安神経症も軽度、薬の量も種類も少なく日々の暮らしの中に楽しみを見つけるだけの気持ちのゆとりがあり、楽しそうに暮らしています。
(御返信2 終わり)
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