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素朴な疑問

168犀角独歩:2002/07/27(土) 15:04

> 山口範道師が『日蓮正宗史の基礎的研究』

かつてワラシナさんも挙げた二箇相承真筆説の石山の定番文書ですね。
それにしても新しいものでは聖滅336年を経た文書を挙げて、「富士では上古から二箇相承書の存在説が常識化していた」とは少し言いすぎではないですか(笑)

この20の資料を提示した山口師も

今日二箇相承が存在しなかったという証拠を上げることは難いが、存在していたという証拠は多分にある。
今、二箇相承が存在したという証拠文献を大略次第してあげてみると次の通りである。(P35)

といい、示すのが無徳山が示した20項目ですね。
しかし、この論の展開、まことに奇妙ですね。こんなことが言えるのであれば「戸田会長から池田会長にエレベーター内での血脈がなかったという証拠を上げることは難いが、人間革命、聖教新聞、大白蓮華など血脈したことを記す文章は大略あげることができる」というようなものでしょう。まるで学的姿勢から逸脱しているとしか言いようがありません。

さて、この中で上古と言えるのは聖滅27年とされる頂師の本尊抄得意抄添書だけでしょう。
(五人所破抄見聞の考証は問答名人さんが記されているので、ここでは省略します)

引用の本尊抄得意抄副書と仮題されるこの書は、一瞥して頂師の真筆とはどうにも承知しがたい書です。川蝉さんが上げているように【編者云】と断って真偽、どちらかという偽に近いという調子で断りがついています。まあ、これを偽としたいのは、山口師が引く文に続く部分にもあるように感じられます。続けて挙げてみます。

興上人一期弘法の附属を受け日蓮日興と次第シテ、日興ハ無辺行ノ再来トシテ末法本門ノ教主日蓮ガ本意之法門直受タリ、熟脱を捨テ下種を取ルベキ時節ナリ

ここでは興師を無辺行菩薩の再来、教主釈尊ではなく教主日蓮(本因妙)、さらに種脱判と思える論を展開しています。教学史的に見れば、どうしても石山で言えば時師以降の思想系譜であって、重須教学よりもさらに後代の趣を漂わせ、どこかと言えば尊門系の雰囲気を醸し出していますね。

第一、「一期弘法の附属を受け日蓮日興と次第」と二箇相承に合致する文章があるから、二箇相承があった証拠というのはまったく短絡なのであって、百歩譲って、この頂師文書が真筆であったとしたら、これをヒントに二箇相承が作られたと考えることもできるはずです。

ここら辺の考証がまったくなされない山口師のいう「証拠」というのは本題に掲げる「〜研究」というにはまことにお粗末と言うしかない私には思えます。

もっとも享師に篤信蹲踞する老僧の悪口雑言をなそうというのではなく、石山で言う研究というのは、そもそもこのように「最初に結論ありき(二箇相承ありき)」から、都合のよい資料を羅列する僧学であるという点を僭越ながら指摘せざるを得ないという意味です。もちろん山口師の人間性を否定しようと言うのではありません。


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