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素朴な疑問
1677
:
愚鈍凡夫
:2004/08/08(日) 13:49
平和創価さん、こんにちは。
大石寺56世日正師の生没年について調べてみました。
在位期間:1908(明治41)年10月29日-1923(大正12)1923年8月12日
生 没:1861(文久1)年12月18日−1923(大正12)年8月18日
ウィキペディア 「総本山大石寺歴代上人一覧」より
「然るに其の当時より柱師の偉大なる御人格を嫉み諂う阿部師を擁立せんとする一派が正師の御病気の重せらるゝを見て早くも後継法主の擁立を画策し狂運動を成せし事実ははある書に明白なり正師の御病気益々重らせられ愈興津へ転地療養の後は柱師の御枕頭へ御近ずけ申さず彼の一派等は益々跋扈し或時は偽書を作り或時は暴力を以し或時は強言を以て大学頭職の辞職を強要す。」 (1930年4月3日付 宗門信徒の日開上人宛『上申書』)
「かくて八月十七日の夕刻に於て明朝遺言をするから皆んな呼んでおけとの仰せがあったので、周囲の者は慌てて、四方へ電報を打つやら電話を掛けるやらしたのである。其の夜半に於て弟子共への御遺言があり、それぞれ近親への御遺言もあり、而して夜はホノボノと明けゆく時、四方より主立った人が駆けつけて来たのであるが、五時頃になると、皆を此れに呼ベ、と仰せられて、一同は上人の枕辺に集まったのである。一同着坐し終るや上人はずっと見廻わされて、やがて侍僧に紙と筆とを持って来る様にと仰せられた。侍僧は静かに立って用意をした。そこで上人は徐ろに「大僧正の権は大学頭日柱に相承する」と御遺言を遊ばされ、侍僧の認めた料紙を手にとって御覧になり、更に署名と花押とを認める様に命じ給い、御手を差し伸べて指の先にて花押の御指図があった。此れが終るや再び一同を見廻してそれから目を閉じられたのである。」(1956年 日蓮正宗布教会刊・細井精道総監著「悪書板本尊偽作論を粉砕す」)
8月18日に病気療養先の静岡県興津(おきつ)で死去したのは事実のようです。
この頃はまた、戸田さんが最初の妻(つた)の実家(新潟)から米を運んできて儲けていた頃ですね。しかし、関東大震災直後に生まれた長女安代を半年後に、その明くる年に妻を肺結核で失っています。
戸田さんにとって、天国と地獄を同時に味わった時期だったようです。
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