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素朴な疑問

1670三学無縁:2004/08/05(木) 21:08
横レス失礼します。

>1667
>その時正師を窮地に追い込んだ側の石山僧俗

この問題は、ことの発端から当時の法華講のかたたちが追及したと記憶しています。
開師は、途中、のらりくらりと言い逃れをし、次にはどちらでもよいと居直りました。
しかし、全国の講頭たちにも誤写の事実とその後の経緯が知られるに及び、ついに誤写したことを認めたわけです。
その間、開師を擁護する声は阿部派僧侶の中からも上がりませんでした。

また宗学要集は、100部ていどしか作られなかったので、宗内の僧侶でも持っているひとは少なかったでしょう。
おそらく作られたものの半数以上は法華講関係と日蓮宗のひとたちが求めたと思われます。
予約名簿などから判断して正宗僧侶で購入したのは20人から30人だったようです。
ひとつには、堀日亨師は宗内で煙たがれれていたこと。
ふたつめは、宗史に関心のある僧侶がほとんどいなかったこと。
みっつめは、宗学要集を買うだけの余裕のある僧侶があまりいなかったこと。
よっつめは、宗学を理解している僧侶が少なかったこと。
ごく一部の僧侶を除いて、他宗派との法論は、ほとんど在家の法華講がやっており、たいていの僧侶には教学じたい、あまりなかったと思われます。

>通称血脈相承において、この話はなされなかったのか

開師は知らなかったのでしょう。
なによりも、正師の相承は大阪蓮華寺の総代が預かり、それを柱師に伝えたものです。
また、亨師は柱師からの相承をそれほど重要視していませんでしたし、自分は中継であると公言していたくらいです。
開師が誤写したのは、本尊相伝がなされていなかったから、と考えるのが妥当でしょう。
おそらく、蓮師真筆漫荼羅をお手本にして書いたのではないでしょうか。


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