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素朴な疑問

165アネモネ:2002/07/27(土) 14:09
横レス失礼します。
左京日教さんについては、六巻抄のスレッドの30〜50あたりでレスがあるようですよ。
そのとき、辞典からの抜粋をレスしてましたので、参考までに以下まとめて辞典から抜粋しておきます。

日教
(1428年−?)大石寺第九世日有上人の弟子。正長元年(1428年)出雲に生まれ、初め朝山妙蓮寺日耀の門に入って本是院日叶と名乗った。後、住本寺に入る。文明元年(1469年)出雲日耀等とともに京都住本寺日広の代官として幕府に諌状を呈している。文明12年(1480)年に、百五十か条を著した。翌年に京都鳥辺山に大聖人の碑を建立。百五十か条は造仏不造と方便不読を述べて日蓮大聖人の本仏論を主張、従来の日尊門流の教学に反対したもので、住本寺系と意見を異にしたため、住本寺を出ることになった。文明十三、四年ごろ、大石寺第九世日有上人の門に帰し、左京阿闍梨日教と名を改めている。文明十五年(1483)年、五月十日、御調寺の日乗に宗義相伝書を授け、日向に行き、穆作(むさか)の地で翌十六年一月七日穆作抄を著した。しかし、穆作の地においても日郷系の日門徒に嫌われ、再び大石寺に戻り、後に重須に行ったと伝えられている。長享二年(1488)一月十一日、五段荒量を著す。六十歳の時、同年六月十日、類聚翰集私を著し、翌延徳元年(1489年)十一月四日、六人立義破立抄私記を著している。なお寂年は不明」(新版仏教哲学大辞典 聖教新聞社刊より)

あわせて辞典の「百六箇抄」のところでも日教について書かれてましたので、その箇所のみ以下抜粋します。

「要法系の学僧で、後に総本山大石寺九世日有上人に帰伏した左京阿闍梨日教(日叶より改名)が、長享二年(1488)に著した「類聚翰集私」(富要二巻303ページ)に、百六箇抄の中から二十余項目を引用して種脱の本尊・末法御本仏・日蓮大聖人・代々法主即日蓮等を論じている。」(新版仏教哲学大辞典 聖教新聞社刊)


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