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素朴な疑問

1614犀角独歩:2004/07/23(金) 10:11

信濃町探検団さん、はじめまして。
わたし自身、興味を懐いてきたテーマなので、知る限りでお答えします。他の方の補完をお願いしておきます。

たぶん、御秘符というのは、蓮師以前から秘儀であろうと思いますが、中世では、蓮師の真筆文字を切り取り、それを呑むことが行われたとのことです。これも御秘符の変形であったろうと思えます。また、近年では「戒壇之大御本尊」への年一度の法要・御煤払で拭いた紙を御秘符にすると言われてきました。(煤払法要は湿らせた紙で彫刻漫荼羅の表面を拭き清める法要です)しかし、実際、石山が下ろす御秘符は樹脂に塗られた粉を水で溶き、服用するもので、これは朱色で煤とは思えません。それが何であるかは、もちろん、公開されていません。

なお、昭和50年前後のことであったと思いますが、創価学会では、この御秘符とは別に「御符」というものを本部・会館から下ろされたことがありました。たぶん知る人は少ないでしょう。この御符は学会本部安置「慈折広宣流布大願成就」の‘板本尊’の煤払で使った和紙を小さく切ったものであったと記憶しています。これは石山秘儀を模倣、侵害するものとして当時、秘密裏に中断されたものでした。記録にも、歴史にも残らないので、証拠を挙げろと言われてもいまは不可能ですが、当時、わたしの知り合いの学会本部職員が、小さく切り分ける前の大きな和紙をわたしに示し、「具合が悪いのならば、御符を上げるよ」と言われたことがあり、その存在を知ったものでした。

以上、中世から近代の変形した御秘符の有様です。

興門における、その起こりは以下の朗師が興師に送った消息にその原型を見ることが出来ようかと思います。

『伯耆公御房消息』
「御布施御馬一疋鹿毛御見参に入らしめ候ひ了んぬ。
 兼ねて又此の経文は廿八字、法華経の七の巻薬王品の文にて候。然るに聖人の御乳母の、ひとゝせ(一年)御所労御大事にならせ給ひ候て、やがて死なせ給ひて候ひし時、此の経文をあそばし候て、浄水をもってまいらせさせ給ひて候ひしかば、時をかへずいきかへらせ給ひて候経文なり。なんでうの七郎次郎時光は身はちいさきものなれども、日蓮に御こゝろざしふかきものなり。たとい定業なりとも今度ばかりえんまわう(閻魔王)たすけさせ給へと御せいぐわん候。明日寅卯辰(とらうたつ)の刻にしやうじがは(精進河)の水とりよせさせ給ひ候て、このきやうもんをはい(灰)にやきて、水一合に入れまいらせ候てまいらせさせ給ふべく候。恐々謹言。
  二月廿五日                   日朗花押
 謹上 はわき公御房」(弘安5年(1282)2月25日)

この秘儀は文面から見る限り、蓮師からの相伝と考えられます。
蓮師自体、御母堂・妙蓮尼を祈り寿命を延べたことを記されています。

『可延定業御書』
「日蓮悲母(はは)をいの(祈)りて候ひしかば、現身(げんしん)に病をいやすのみならず、四箇年の寿命をの(延)べたり」(文永12年(1275)2月7日54歳)


薬王品は「病之良薬 若人有病 得聞是経 病即消滅 不老不死」の経文を存する故に特に以上のような秘儀を生んでいったのであろうと考えられます。

しかし、法華全編の読誦を禁止した石山にあって、薬王品を取り沙汰して秘儀とすることは出来ない事情が中世以降の変形を生じさせた理由であろうと思えます。また、「本門戒壇之大御本尊」造立後は、その権威昂揚から、先に記した如き煤払の清拭紙を充てる方法も考案されたのでしょう。しかし、近年に至っては衛生上の都合から、たとえ法要の清拭紙とはいえ、その使用は憚られ、現形式に変更されたのではないのかと想像します。

なお、現在、顕師が御秘符を下しているかどうか、それはしているでしょう。しかし、その在り方はまた変更されているかも知れません。
藤川さんその他の方々に補完しいていただければと思います。


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