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素朴な疑問
1471
:
犀角独歩
:2004/07/13(火) 09:47
非常に興味深いテーマなので、わたしも参加させていただきます。
「富士門流」とは何かという点が、先ず不鮮明であると思ってきました。
その源流は白蓮興師に置かれるのでしょう。わたしはここが基本であると思うわけです。そこで、興師の時代に日蓮本仏が言われ、弥四郎漫荼羅(本門戒壇之大御本尊)があったのかということがいちばん大きな問題になってきます。これまでの経過からすれば、共に興師の時代には戻れないと言わざるを得ません。つまり、日蓮本仏、弥四郎漫荼羅はその祖である興師と相違しているという点が挙げられます。
のちにこの二つが形成され、それが後天的なものであっても一向に構わないという意見もあります。それも一つの考えでしょう。しかしながら、日蓮本仏(人)弥四郎漫荼羅(法)一体の本仏本尊論を言うのは、ただ大石寺一派に限ります。となると、従来言われてきたのは「富士門流」ではなく、そのなかのわずか「大石寺門流」信徒の、ということになるわけです。故に富士門流が日蓮本仏・弥四郎漫荼羅崇敬であると誤認されかねない表現は先ず避けるべきであろうと考えます。
もちろん、なかには以上の点を充分承知のうえで、全富士門流信徒を日蓮本仏・弥四郎漫荼羅に帰伏させることを目論む人もあるのかも知れません。そうあれば、日蓮本仏義が興師、もしくは蓮師ご本人の確実な資料からその証拠を呈示し、かつ、弥四郎漫荼羅が弘安2年10月12日、蓮師自ら板に図示し、法師が彫刻した証拠をここに掲げることが必要となるでしょう。
わたし自身の管見を述べれば、後世の解釈である日蓮本仏、後世の贋作である弥四郎漫荼羅から脱却することは、興師を祖とする富士門流の祖道の恢復の第一歩であると申し上げるほかありません。
> 御書全集に所在地不明という手紙が真跡かどうかということ
まさにこの点は数年前にわたし自身が呈示した疑問点でした。
簡潔に申し上げれば、御書全集の半分は真偽未決、もっと言えば偽書が多く混入していると言うことです。もっと具体的に言えば、日蓮門下では自分に解釈を権威づけるために既に興師の時代から多くの偽書が捏造されてきたということです。
たとえば、弥四郎漫荼羅で言われる法師彫刻説は因師『有師物語聴聞抄佳跡上』以外に紹介される『松野殿御書』しか「御書」としてその事柄を伝えるものはありません。しかし、この書が真筆であれば、法師こそ蓮師の法嗣ということになり、七面山(竜女神)信仰と弥四郎漫荼羅不可分を認めなければならずしかしまた、そもそもここでは弥四郎漫荼羅彫刻を一字たりとも出ない不都合もあります。さすがにこのような書が真筆であるとは、石山ですら言わないわけですが、実際、このような形で御書が偽造され、法師顕彰、法師彫刻が肯定されたわけです。
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