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素朴な疑問

141いちりん:2002/07/26(金) 09:30
二箇相承について、わたしは「常識」で考えれば、「おかしいな?」ということは、わかるんじゃないかと思っています。

なにしろ「二箇相承書」のうち、「池上相承書」は、弘安五年壬午十月十三日に日蓮さんによって書かれたとされています。
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釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す、身延山久遠寺の別当たるべきなり、背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり。
  弘安五年壬午十月十三日  武州池上
日蓮在御判
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弘安五年壬午十月十三日というたら、日蓮さんが、亡くなった日であります。

日蓮さんは、池上の館に到着して、波木井氏に与えたのが最後のお手紙です。九月十九日です。亡くなる一ヶ月前です。

そのとき、自らしたためずに、口述筆記で、日興さんが書いています。口述筆記の場合には、最後には花押を書くものですが、しかし「所らうのあひだはんぎやうをくはへず候事恐れ入り候」と言っています。

「九年間もお世話になってありがとうございます、自分の墓はどんなことがあっても身延に立ててください」という内容に、花押を入れないのはおかしいですからね。もしかしたら、そのとき花押を書くほどの元気もなかったかもしれません。

で、これ以降、日蓮さんは手紙を書いていません。おそらく筆を手にすることもなかつたと思います。
それほどまでに重体であったろうと思います。

それをですよ。「亡くなる当日」に、「日興さんだけ」を枕元によんで、この「相承書を墨で書いた」というのです。このあたりが、常識で考えて、もうおかしいですね。

師匠が亡くなりそうだというのであれば、大勢の弟子旦那が、日夜、日蓮さんを見守っておられたんじゃないでしょうか。師匠の亡くなるというのに、ほっておくわけがありません。

しかるに、どうして、日興さんだけをひそかに呼んで、筆でしたためたたりできるでしょうか。


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