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素朴な疑問
1311
:
犀角独歩
:2004/05/13(木) 11:04
1303 風来坊さん:
> 二箇相承は北山から盗まれてと独歩…
この件に関しましては、1304に顕正居士さんが挙げてくださった資料に基づいて、曾て記したことでした。石山信仰下にあったときは、この我師の証明を金科玉条と考え、二箇相承真筆の挙証に数えておりましたが、1308に同じく顕正居士さんが「二箇相承が日蓮の筆であるという意味ではありません」と仰る如く、いまではわたしはこれが蓮師真筆の証とならない考えるに至りました。
なお、蛇足ですが、今川家云々の経緯については『大石寺誑惑顕本書』にもその記述が載っています。ただし、これは北山宣揚文書ですから、二箇相承が重須こそ、富士山本門寺であることを証明する真筆として扱われております。
ここで今更申し上げることはありませんが、興門下では富士山本門寺とは北山・西山の両寺院の名称です。
以上のことから、わたしは北西両山を跨ぐ人、すなわち代師・若しくはその法類が、二箇相承捏造に何らかの関わりを持ち、その当初においては‘大日蓮華山’大石寺とはまったく関係のない文書であったと考えられます。その後、この存在を知った石山において、広宣流布の暁には石山は富士山本門寺と改称する未来の証明書として扱われるに至ったのであろうと考えます。しかし、実際は既にある富士山本門寺を蓮師に仮託して宣揚することを目的にした文書であったと思われます。つまり、富士山本門寺は未来に石山が改名するためのものではなく、既にある富士山本門寺を証明するためのものであったということです。
尤も、こんなことは今更ここに記すことではありませんが、ロムの皆さんのために取り敢えず整理して標しました。
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