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素朴な疑問

1286地名:2004/04/29(木) 17:21
同書より続く
2.末代上人の富士登頂
(イ)末代以前(富士山記)
 富士山に山岳仏教を最初にもちこんだ人物は、いったい誰であったろうか。それについては古くは、必ず役の行者を嚆矢として取りあげているが、現在の学問ではそれを事実とは信じていない。…夜になると海上を走って…富士山頂で修行して帰ったという『日本霊異記』に拠っている。…
 ところが、平安時代にはいって富士山頂をきわめた者がいたことは、『本朝世紀』の久安5年(1149年)の条に末代上人が山頂に大日寺を建立したという記事があることで知られている。彼こそ富士山を仏化して、山中練行の霊場にもりたてていった。“富士修験”の先駆者であり、自他ともに高い評価を与えねばならぬ人物であるが、それに先だつこと290年ほど前に、すでに山頂まで登攀した者があったことを示す記録が残されている。それはまことに驚くべきことであったが、貞観6年の大爆発の直後にまとめられた文献で、書きしるした者は京都の文人、都良香であったという点において、登山事実は、地元の人間が異常な興味をもって噴火のあとをたどってみた結果の報告であったろうと考えられる。
 良香の死は元慶三年(879年)であり、記録はその4年前まで書き続けられていることから、おおよその年代推定は可能であるものの、報告者の何たるかについては、まったく言及されていない。…中略…なぜなら富士山について二人の国司は、それぞれつぎのように記述しているからである。
駿河国宮、富士郡正三位浅間大神大山火
甲斐国宮、駿河国富士大山忽有暴火
つまり富士山を見る目は、当時ほとんどの者が「駿河なる富士」と決めてかかっていたことを示している。そうした考え方を踏襲して、良香の『富士山記』も、「富士山者在駿河国」と書き出し、「山名富士取(富士)郡名也」と断定しているのである。


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