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素朴な疑問
127
:
犀角独歩
:2002/07/25(木) 12:04
五月雨さん:
「いつか通った道だ」って、かつての経験を語るときに使う言葉があります。
五月雨さんがされるご質問はかつて私も通った道、みんなも通った道です。
まだ通っていない道もあって、私が通っていない道を既に五月雨さんは通っているかもしれません。まあ、そんなときは私にも教えてください。「この道はこうなっていて、でもこっちの道の報が近いですよ」と(笑)
> 「曽存本」という意味が分かりません。
そう、祖書学では当たり前のように使われる言葉ですが、こんな熟語は一般的ではないのです。辞書に載っていないでしょうね。
曽(かつて)存(あった)本という意味です。要するに、ある時期まで真跡があったことが確認されている書ということです。
聖人の御書は何度か収集、編纂されてきたのですが、取り分け身延山中興の祖と仰がれる行学院日朝師が真跡を集めたのです。これは大した業績であると思います。ところが身延山久遠寺に火事になった時があり、燃えてしまった真跡が多数あります。これなどが曽存本に当たります。ただ、朝師の収集に基づいて教学の研究がなされていましたから、真跡書であることは各門それぞれが認めるものであるわけです。真跡に基づいた写本も残っているわけです。ですから、この曽存本は限りなく真跡に近い扱いとなるわけです。
> 「真蹟所在」「古写本」に何も書いてない御書もありましたが、無いのも真蹟とみなして良いのでしょうか
いえ、これは逆です。書かれていないものは真跡も古写本もないということです。ですから、この中に偽書が含まれている可能性があるわけです。日蓮の書と言われるものの中で、ほぼ半数はこれに当たります。
この辺の研究を石山系で真面目にやっているのは正信会です。本年、公開された御書検索システムというのは、この結実した成果です。私は高く評価しています。
この研究の一端から本門戒壇の文証とされる『三大秘法稟承事(三大秘法抄)』に疑義を投げかけ、石山教学を根本から見直そうとする姿勢は立派であると思っています。
私のサイトでも紹介しています。平易に書かれた文章です。読んでみてください。お奨めです。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/ssk_sandaihiho_001.html
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