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素朴な疑問

1252犀角独歩:2004/04/04(日) 17:48

空き缶さんも久しぶりに登場になって、またなかなか興味深い議論が展開されていますね。

なるほどと今更ながら、思った点がいくつかあります。
愚鈍凡夫さんが仰るように「奉納」であってたしかにこれは安置とは違いますね。
となれば、いわゆる御影式(御影の背に漫荼羅)という奉安形式によることを上代では定まっていなかったことが窺われます。

そこでれんさんが指摘されるよう戒壇堂は西面であるわけですね。
いちおう北山に本門寺根元は本堂で、そのほかに御影堂・垂迹堂が建ったのは、うーん、まあ、史実であろうと思われます。

ところで本堂=戒壇堂という考えはいったいいつ頃に興るのでしょうか。
元来、本堂と戒壇堂は空き缶さんがその用途から指摘されたように役割が違います。
これはまた御影堂もしかりですね。

ところが富士門では戒壇堂と本堂が中世から同一に論じられたうえ、さらに本堂と御影堂が一体化していきます。この解釈の変遷にはかなり時間の流れがあるわけでしょうね。

まあ、、本堂と御影堂の一体化、さらにはその一体化堂宇を戒壇堂としてしまった精師の建立は、原意からすれば飽くまで略式伽藍ほかならないことになります。

また、西面ということで直ちに想起されるのは五重塔なのであって、精師が本門戒壇本堂として御影堂を建立して、その伽藍整備の延長で建立されたこの西面の堂宇は相伝文から解釈すれば、まさにこちらこそ戒壇堂ということになるのでしょうか。そうとは思えないので単に別の思惑なのでしょうね。現石山アナウンスでは仏法西還を表すんだそうですが、わたしは五重塔は宝塔品の涌現宝塔を表す故に法華経の説相に併せて西面なのであろうと考えます。

これはまた近代に属することですが、正本堂は現時における事戒壇であるという意義付けであったわけですが、しかし、南面です。相伝を知ってか知らずか、はたまた無視したのか。これを杜撰というか、いい加減というか、どうも石山住職の考えることは理解に苦しみます。また、正本堂を事檀建立と意義づけていた学会も、何故、設計段階でこの点を指摘しなかったのか疑問が残ります。

それより何より、愚鈍凡夫さんが仰るよう、達師は何を根拠に御影堂に当初、弥四郎漫荼羅が安置されたと言ったのでしょうか?
何の根拠もなく言ったとは思えないんですが。それでも「まさかりみたいな手斧」という古い道具を使っているだけで鎌倉時代の作と決めてしまうほど短絡的なことも言うわけですから、この辺はどんなものでしょうか。


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