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素朴な疑問

1251愚鈍凡夫:2004/04/04(日) 17:02

空き缶さん、れんさん、レス有り難うございます。

「日興上人御遺跡之事」は、少なくとも日目師の時代には「弥四郎漫荼羅(戒壇之本尊)」が存在しなかったことの証拠の一つになりうると思っています。

それはそれとして、
この書には「日興上人の仰せに依つて支配い奉る事此の如し」とあって、日興師の遺命であることを記しているわけですよね。
そして、「此の旨に背き異義成し、失タラン輩者、永く大謗法に為す可し」との迫力ある脅し文句も添えられているわけです。
それでは、日興師は重須についてはどう位置づけていたのでしょうか。重須・石山両方に三堂を建立せよとの御遺命なのでしょうか。
それと、日達師は何をネタ本にして、ああいった発言をされたのでしょうかね・・・・・。


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