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素朴な疑問

1241犀角独歩:2004/04/04(日) 11:13

エルさん:

お返事有り難うございます。
只道師・妙観講ですか。納得です。

> 謗法の物は全部焼き捨てる

なんともはや。すさまじいですね。あそこはいまでもそんなことをやっているのですか。
しかし、こうなると、有師が「本の如く妙法蓮華経の内証に事収まる」という点は成就しないことになりますね。いわば、親は尊敬し、その家を出た子は滅ぼすというやり方です。

日蓮宗では「おたきあげ」という儀式を用意して、やはり焼いています。
ただし、この場合は他宗のものに限らず、古い御守、達磨、仏壇、塔婆が主な対象で、供養行事の一環です。また、憎しみを篭めて在家が行うことではありません。
いずれにしても「燃やす」のは有師儀ではなく、むしろ他門儀に近いように思えます。なぜならば石山では「おたきあげ」の類の法事がないからです。

垂迹堂の件、少し文献をひっくり返してみました。
亨師の言として以下のようにありました。

「他宗に所望すれども出さず等とは、他宗他門の輩・信伏の時に・従来安置したりし権迹の仏菩薩の絵像木像を・当宗の垂迹堂に納むるに・中には定朝運慶の彫刻もあるべし・金岡雪舟の名画もあるべし・又は所望の弥陀もあるべし・観音もあるべし・今此を垂迹堂に納め置くよりも・当方に申し受けん、何貫文を進上すべし、何々事を為し進らすべし等と・種々に申し請ふものありとも・決して他に出すべからず、其故は権仏迹仏たる弥陀・薬師・観音・不動等は・其元一乗法華本仏の影現垂迹にして声縁菩三乗済度の為に出られたるものなるに・今一乗法華弘通の時機に遭ひ上りて・幸に本地の大法に帰る事を得たる姿なれば、無沙汰に放擲して・仮出の三乗に戻らしむべからず、垂迹堂に安置して・妙法醍醐の法味に飽かしむべしと
なり」(註解第11条)

たぶん只道師はこれに拠ったのでしょう。ただし「燃やせ」とは言っていません。
ここで亨師が突然、垂迹堂であると言い出すのはかなり突飛な印象があります。しかし、同師は慶応3(1867)年生まれですから、昔の事情、またそんな話を聞かれて書かれたことであると思います。

ただし、只道師がいう扱いとは随分違います。「垂迹堂に安置」というわけです。
保管、あるいは焼却処分ではなく‘安置’である点は看過できません。
エルさんは「ここには一般の信徒は立ち入り禁止で、礼拝はできなかった」と想像されていますが、亨師は「納め置くよりも…種々に申し請ふ」と、つまり、その垂迹堂でそれらを見た人の申し出を記すわけですから、立ち入り禁止というのはどうでしょうか。

中世の垂迹堂では天照大神の御神体の前に、ずらっと絵像、仏像が‘安置’され、そこで初座の読経が執行されていたというのは、有師・亨師の記述からすれば導き出せる想像です。


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