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素朴な疑問

1188愚鈍凡夫:2004/03/26(金) 12:09

エルさん、こんにちは。

「次に左右の露は行者の一身を表す、卅一珠は但是十波羅密、分別して卅一珠と為す、其の故記憶珠子なるが故に右の十珠記子即百千記子位なり、左二十珠即千万億の記子なり、一珠は無数位なり既に無数位一つなり、又水精を用ゆるは無数の功徳成する故なり、然れば右の十の記子は百千数位、左の廿一は千万億無数の記子なり、皆三十種波羅密を表して卅即一珠と為す者なり。」(袈裟数珠の事)

仰る意味は分かります。
でも、そうなると四菩薩から遠い方が釈迦牟尼仏で、四菩薩に近い方が多宝如来ということになってしまいます。個人的に違和感があります(小生は数珠を手に掛ける場合、無意識に2房の方を右に掛ける習慣がありますから。)
この辺の処、どう思われますか。

「然れば右の十の記子は百千数位、左の廿一は千万億無数の記子なり、皆三十種波羅密を表して卅即一珠と為す者なり。」
これって「右の十の記子」、「左の廿一」と数えておいて、「皆三十一種波羅密を表して」ではなく、「皆三十種波羅密を表して」とし、「卅即一珠」とするのは結構苦しい解釈だとは思いませんか。「三十種波羅密」とするのであれば、何故「右の十の記子」、「左の廿」と数えないのでしょうか。その上で「数取り珠」を加えて「卅即一珠」とするほうがすっきりすると思うのですが。まあ、五字七字に引っかけて5×2=10、7×3=21と言うことでしょうかね。


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