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素朴な疑問

106犀角独歩:2002/07/22(月) 18:10

> 信仰というのは、どんなときでも、誰でもできることだとは思いますが。
それこそ、幼児から臨終間際の人でも、寝たきりの人でも。

まったくそのとおりですね。
いま、小田師の資料を整理しているところなので、またまた引用してしまいますが、

日本では一般に、宗教を信仰するといえば、特定の宗派または教団といった組織に入ることを意味している。漠然と神や仏を信じている場合はそうはいわない。特定の教団に入信し、父親や母親を代わりをつとめている教祖は宗派(教団)幹部のいうことをなんでも無条件で服従するとなると、教祖や幹部が邪悪な人であったりすれば、どんなことでもしてしまうおそれが生じてくる(『なぜ、人を宗教にすがりたくなるのか』三笠書房 P57)

この服従は「文句を言いつつもやってしまう」も含まれるのでしょう。不満を懐いている人は自分が被害者のような気持ちを懐いているものですが、社会一般から見れば、結局、やってしまうその人を含めて、その教団が、国民の精神環境を含めて社会悪になっている片棒を担いでいる一人に数え上げられている現実がわからないでいるわけです。

しかし、信仰はいちりんさんが仰るよう、誰でも、どこでも、一人でもできなければ、価値はないのだと私は思います。


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