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六巻抄について

97独歩:2002/03/29(金) 16:09

Libraさん:

待っていました(笑)

いま『法華論疏』を読み直していて、宝塔並座と三身の部分で、Libraさんの曼荼羅観を擦り合わせていました。Libraさんの言うところは伝統的な解釈と矛盾しないと思えました。

上述のことは、ちょっと置いて、引用される充道師は起信論の真偽について論じられない野は憾みを感じますが、それも置いて「法(法身)が絶対(常住・遍満)であるが故に、その法を証得した仏(報身)もまた絶対である」という点は、やや難を感じます。そもそも「絶対」ということを天台が言っているとする点は頷けません。

なお円道師の田村師の法身に対して、『法華文句』寿量品釈の「報身正在」を説くのは尤もなのでしょう。私はこの点を本尊の選定面から読むのですが、これは違うのでしょうか。

元来、三身は「祕密者。一身即三身名爲祕。三身即一身名爲密」と釈されるのであって、すると、「法身か、報身」という問いは人の「身(カーヤ)」の優性を論ずるような誤解を招くと思います。聖人の真蹟中に三即一を見出せない理由は、この辺りにあると言えば、やや言い過ぎかもしれませんが。


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