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六巻抄について
85
:
顕正居士
:2002/03/26(火) 08:12
無始古佛
「台宗二百題」の『法華教主』に
「問う。法華の教主は、三身の中には、いづれぞや。答う。報身なり。
もし、報身なりといわば、相多身大、これを報身と名づく。法華の教主は
、四八の相好なり。まさにこれ応身なるべし。〜」
法華教主は顕本しても丈六劣応の姿は変えず、久成の三身は多宝、
分身で表現されます。「生身尊特」の論と云います。ゆえに
「我等己心釋尊五百塵點乃至所顯三身無始古佛也」の意義は
「己心釋尊」=「釋尊五百塵點乃至所顯三身」=「無始古佛」です。
三語は同一の対象を指し、本尊抄で繰り返し出る「教主釈尊」に対応
します。法華教主自身は顕本しても丈六劣応の身のままであるから、
久成三身は観心の対境であります。しかし、
「教主釋尊五百塵點已前佛也。因位又如是」であり、教主釋尊と異なる
古佛がいるのでないが、それは法華教主の姿で直接に表現されないから
「迹に即した本」は観心の対境になる。「本門本尊抄」でなくて「観心
本尊抄」が題である理由とおもう。
参考
台宗二百題(隆文館その他)
金光明經文句記卷第三(下)-大正蔵
http://ccbs.ntu.edu.tw/cgi-bin/webgetfile_.exe?pid=9259&offset=5
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