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六巻抄について

8バックアップ:2002/02/19(火) 21:16

240 名前: 独歩 投稿日: 2002/02/18(月) 14:56

無明さま:

> 無始の古佛と己心の釈尊が同一か異同があるのか…ここのところを平易…

端的に申し上げれば、この点を聖人は明確にされなかったのではないでしょうか。
もしかすれば、極一部のお弟子には明かにされておられたのかもしれません。しかし、確実な資料でそれを知ることができないのが現状です。

古仏について真蹟から拾えば

・三身円満の古仏(開目抄下)
・無始古仏(本尊抄)
・過去古仏

の三点のみです。無始無終の三身円満をもって古仏と記されていることはわかります。私自身は五百塵点成道の釈尊を本尊、無始の古仏を三身円満であると考えるのです。しかし、実際のところ、計り知れない過去にそのような仏が“居た”と言った実在性を議論すべきではなく、法華経の文から本尊を選定し、さらに三身古仏を己心法の中に観ていくことを聖人は記されているのではないのかというのが一応、結論です。
極端なことを言えば、永遠の過去に仏が居たか居無いかという実在論、いわば有論に執して論ずるべきではないのではないのかという思いもあります。

一念三千という止観によって観る仏法界は、しかし、印度応誕で観るべきではなく、五百塵点の成道の仏と観、さらに無始三観円満古仏を観法したという聖人の思惟が披瀝されたものであるいうのが私の現段階の結論です。


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