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六巻抄について

7バックアップ:2002/02/19(火) 21:15

239 名前: 無明 投稿日: 2002/02/17(日) 10:36

独歩さま

つづき

久遠無始と解釈するのはよいのですが、では逆に、ならば法華経では、ここに敢えて五百塵点という表現を用いなければならなかったのでしょうか。

そうです。ここがまさにポイントです。独歩さまが御高見の一端を披瀝されましたので、浅学である私は、浅井麟師の論文、北川師の本では把握の仕方が異なるので、両氏の考えに対して是非とも独歩さまの卓見をお聞きしたいという趣旨で記載させていただいたものです。
無始の古佛という言葉は聖人に始まる用語ではないでしょうか。是非、日蓮教学の学識者の通説に対する独歩さまの御高見を批判的にお示しいただけるとありがたいです。

報中論三については、独歩さまの考えが正しいのかも知れません。要麟師は天台教学を踏まえた通説的説明をされていますが、独歩さまの仰せのように聖人にはそこまでのお考えはなく三身円満の釈尊というお考えだったとも思います。

聖人は「寿量品の仏」を正意の本尊とみなされ、三身ともに無始無終の佛格とみなされていた、それが久成三身すなわち無始無終という「一代五時鶏図」のお考えだったのでしょう。

すみません。私の定見がなく参考文献の引用になってしまっていまして。

無始の古佛と己心の釈尊が同一か異同があるのか。そこのところを独歩さまの考えを中断させてしまいまして、申し訳ありませんでしたが、ここのところを平易にご説明願えれば幸甚です。


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