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六巻抄について
44
:
独歩
:2002/03/09(土) 00:21
問答名人さん:
> 43
まさに、そうですね。人法ではなく、仏法であるはずです。
ただ、人法ということは他宗でも言い、日本仏教に共通した成句ではあるようです。それを使い恒一、体一、一箇とやるところが寛師ですね。
私が、いちばん指摘したいのは、そもそも寛師がいう法とは法ではないという点です。
人法一箇というとき、人とは日蓮、法とは戒壇之本尊(曼荼羅)というのが寛師です。
しかし、文字として板、あるいは紙幅に書き記されたものが法そのものでしょうか。文字即実相と言えばそれまでですが、しかし、文字を直ちに法というのは空・縁起という大乗仏教の指標と真っ向から対立する実在論(有論)でしょう。
天台は破法偏に
因縁生の法は即空即中にして心行の処滅し言語の道断ず(心行処滅・言語道断)
というのであって、そもそも言葉・文字で表わせないのが法です。それなのに、寛師においては法が板曼荼羅という実在化されているとする点で、もはや仏法の法から逸脱しているわけです。もちろん、人を日蓮に配当する、天台勝釈尊劣を焼き直した日蓮勝釈尊劣という日蓮本仏(示同凡夫=人、凡夫本仏論)の過ちは既に指摘してきました。
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