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六巻抄について

4バックアップ:2002/02/19(火) 21:12

236 名前: 独歩 投稿日: 2002/02/16(土) 10:13

Libraさん:

> 仰りたいことは分かります。「相即」とか「空」とかいう考えは、正しく使
わないと、すぐにとんでもないことになってしまいます。

そう思います。

>  タントラ仏教はブラフマニズム的宗教(吉水千鶴子)

これはなかなか面白かった。タントリズムが仏教の最終形態でありながら、先祖帰りを通り越して批判しそうに戻ってしまい、ついには仏教とは言えないものになったという批判は、インド学などでも言われていたと記憶しています。なにせバラモンでは、司祭が祈りをやめると太陽も昇らなくなると人々は怯えていたし、死後、祈りを捧げられないと餓鬼となって、さ迷い歩くことになるなどと恐れられていたと言います。ですから、司祭は絶対的な存在で、崇められ恐れられすべてを委ねていた…、学会にいたとき、「先生に逆らうと地獄に堕ちる」と言われていて、石山に来たら「猊下に逆らうと地獄に堕ちる」と、こうなりました。この根源はブラフニズム的宗教観という似非仏教にあったのでした。曼荼羅はタントラですから、これを本尊と言ってしまえば、こういう誤謬は自動的に引き出されていくことになるでしょうね。

>  「不生不滅の法性」─「空」についての大きな誤解(小川一乗)

これも言えています。漢訳の問題、さらにインド人と中国人の根本的な思惟形態の違いも大きな原因にあるのでしょうね。さらに日本には日本教ともいうべき「カミ」という思想が生き続け、神道、仏教、キリスト教という宗教のなかに大きく生き続けています。この“引き算”をせずに語られることが余りに大きいわけでしょうね。
いちりんさんのサイトなどを拝見すると、しかし、こんな問題意識をもたれた方がいらっしゃるので、見識のある方は、やはり気付いていると思うわけです。
縁起・空という言葉を使えば大乗仏教だ、ではなく、その根本的な思惟が板につかないとだめだということでしょうね。しかし、「空」は本当にむずかしいですね。第一、「空」と文字に書いた瞬間、言葉で説明した瞬間に実在化が生じてしまうわけです。

>  しかし、だからと言って、「空とか相即などと言うのはやめよう」と言うわ
けにはいかないと思うのです。重要なのは、「相即」とか「空」とかいう考え
を〝正しく使う〟ということではないでしょうか。

そうですね。「言語道断・心行所滅(原語の道を断ち、心の業を滅するところ)」という限界を常に意識していくこと、まあ、厳格には正しく使えないという限界をまず知ることでもあるでしょうね。それでも正しく使おうと努力するしかありませんね。

> 「報身」についても同じように考えます。

ここは、まあ今後ともゆっくりと(笑)

>  〝真理は「無始無終」であるが、ただ真理があるだけでは「仏」はまだ存
   在しない。「真理」を「智慧」としてさとって、衆生を導く存在が出現
   した時に「仏」はこの世に誕生するのである〟

Libraさんの常套句ですね(笑)
これがまた、無始のうえに五百塵点が置かれる意義であると考えています。

> つまり、「真理」が「法身如来」になったのは、それを「智慧」としてさとって、衆生を導く存在である「仏」が出現した時点であると。

言われることは、わかるような気がします。すると、法性、真如と法身は違うということでしょうか。

>> 難しいことを書くこと自体、もう罪悪視するような傾向があります。
> これは実感としてとてもよく分かります(涙)。

仕様がないと思うわけです。釈迦滅後1000年(聖人の考えでは1500年)部派によって構築された膨大な概念を、さらに中国仏教の誤謬を、さらに日本教の混入を、さらには中世の汚染を、さらに現代思想の混入を選別していこうとするわけですから。まして法華経は難解難入といい、学ぶのに難信難解でありながら、随自意というのでしょうから。しかし、Libraさんもお感じになられると思いますが、この思惟は、実に興味尽きるものではなく、そして、楽しく、思惟するほどに心洗われ、わかるほどに元気の出る作業ですね。私にとっては生きがいです。

> 私ごときの愚考などは捨て置いて、本題の方を進めちゃって下さい。

何をおっしゃいますか。よろしくお付き合いいただければと存じます。


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