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六巻抄について
30
:
問答迷人
:2002/03/01(金) 23:05
独歩さん
>一つは日蓮と釈尊を同一者とすること、もう一つは日蓮を釈尊の師とし、別者とすることです。
了解です。そうすると、日寛上人は、この二つの、日蓮本仏論をどのように統合したのでしょうか、或いはしていないのでしょうか。
もう一つ、お伺いします。次ぎの、【第八に事理の一念三千を示さば】に踏み込みますが、本尊抄の、
「一念三千殆ど竹膜を隔つ」
の文を引いて、日寛上人は、独一本門の存在証明にしています。日寛上人の説(理の一念三千と事の一念三千の差は、大変な隔たりがあるのだけれども、文底独一本門から見るとき、その差は、竹膜ほどの僅かな相違になってしまう)に拠らず、本来の聖人の祖意に戻って考えるとき、この『竹膜を隔つ』とは、如何なる意味でしょうか。
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