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六巻抄について

22独歩:2002/02/28(木) 10:38

問答名人さん:

「文底独一本門」、これがまた、観念文では「人法一箇文底独一本門戒壇の大御本尊」となってきて、石山僧俗には意味は知らずとも、毎日、誦する常套句となっていくわけですね。

「本門を事の一念三千と名づく是因果国に約して此れを明かす」とは、天台の教判に、まあ忠実なのでしょう。本尊は五百塵点成道・教主釈尊(人=仏)、法は事一念三千、しかし、となるべきところが、人(日蓮)法(戒壇之本尊)へと、いきなり飛躍しています。で、独一であると、まあ、独一でしょう、こんなことを言っているのは寛師とそれ以降の石山ばかりですから。

ところで、因果国とは菩薩道・成仏・娑婆世界とは五百塵点を指しているわけです。しかし、石山教学では、久遠元初当初(そのかみ)を言うのであって、これは因果国の五百塵点已前を指しているわけです。つまり、当初思想は五百塵点成道を簡んでいるわけで、この点で成道論が二つになっており、これは現在も2種の日蓮本仏論が立ち混乱の原因となっています。

なお、一念三千が、即自受用報身如来とするのが中古天台本覚思想の説であって、独一でありません。ただ、それを天台ではなく、日蓮とするところで、独一となるのでしょう。
これしかしながら、いくら相伝だと叫んだところで、その原形が天台の変形亜流である恵心流口伝法門にあるのでは独一も、当流の秘伝とも言えないことになります。

まさに仰るとおり、唐突という感は否めません。


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