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六巻抄について

193犀角独歩:2005/03/22(火) 12:01:14

かつて創価学会は、戸田さんを中心に国立戒壇を目指し、(公称)75万世帯を達成。その後、池田さんに継承されて(公称)750万世帯。その後、昭和42年、正本堂供養を行い、800万人実名供養名簿とともに500億円近い金額を集め、同47年に正本堂建立。この段階で、石山・学会は国立戒壇の名称を放棄。しかし、この段階で創価学会側が固執したのは正本堂が事戒壇であるか否かという点でした。石山は事戒壇を「願って」の範囲に留めたわけです。その後、正本堂は解体されるも、それまでの主張であった民衆立戒壇についても、論じられることはなくなり、今日に至っています。

唱題行はまだ盛んなことから本門題目義は存していることになるのでしょう。また、三大秘法本尊とその呼称を代えるも、まだ本門本尊義は存していることになります。

では、上述した本門戒壇義については、まったく不問とされることになります。
投稿で紹介された「四大秘法」なる造語が何を意味するのか、ここでは、どうでもいいことであるけれど、では、本門戒壇義(解体された正本堂に変わる事戒壇)を、現学会教学が欠くとすれば、これはもはや、三大秘法とは言えず、二大秘法と言うことになります。となれば、一つ足した四大秘法を糾弾するのよいとしても、一つ欠いた二大秘法はどうなるのか、という問題は少しも解消されていないことになるがこの点はどうでしょうか。

このように記すと、「本尊を安置する場が戒壇である」という反論は、当然怒るわけでしょうが、これはしかし、寛師の言う義・戒壇であり、事戒壇ではないわけです。この点を現学会教学は、未だクリアしていません。

三大秘法惣在本尊とは弘安2年大本尊であることは火を見るより明らかであり、これを一大秘法に束ねて、究竟の本尊とするのが、寛師教学です。つまり、この彫刻本尊を抜きにした寛師教学などあり得ないわけです。また、この本尊顕彰の表裏を為すのが、唯受一人血脈相承で、石山歴代のみが正統師である、また、富士戒壇・本門寺と共に、その主張であるわけです。

わたしは、取るに足りない寛師教学から、学会が脱皮していくことに対しては薦めるところです。その場合、しかし、会員頒布用の印刷本尊は寛師書写という点は、高いハードルと思えます。

戒壇義無き二大秘法教学、そして、彫刻本尊・唯受一人顕彰の寛師教学を学会が是認することは、まったく自己矛盾であり点を、それこそ、寛師の六巻抄すら読まない会員の教学レベルの低さで露呈しないという構造を、ここに見ます。

それにしても、いまどき、創価学会が、寛師教学を取って、石山を批判すれば、その返す刀で自ら斬り殺すほかない点に、いまだ気付けないとは、笑止千万というほかありません。寛師教学から脱却は、創価学会が今後を歩んでいくための必須条件であることは、その著述を熟読すれば、すぐに気付けることでしょう。

不都合なところは全部改竄、削除して用いるというのであれば、話は別です。しかし、少なくとも、現段階で創価学会が寛師教学を用いれば、既にそうなっている構造があることを、少しでも寛師を学んだことがある人であれば、直ぐに理解することができるでしょう。


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