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六巻抄について

184無徳:2005/02/15(火) 23:22:07
続きです。

しかし、そのためにはどうしても突破しなければならない大きな課題と
壁があるのです。

それは、成功したか否かは別としてヴィトゲンシュタインが為したよう
に、人類が築き上げた既存の言語体系(哲学)をまずもって一旦は解体
せんとしたことをモデルにして、我々も現在の日蓮正宗の宗門が絶対化
している言語体系である既存の教学、そしてそれは私が現在学んでいる
日寛教学も含めて一旦は解体し、相対化する必要があると考えています。

なぜかならば、宗門の僧侶や法華講に属する在家信徒たちまでが宗門の
法主を法水写瓶であり唯受一人の血脈付法にて「戒壇本尊と不二の尊体」
とまで形容して法主を絶対なる存在に仕立て上げてしまったため、それ
らが日蓮正宗という体制内言語として、つまりはイデオロギー化してし
まった結果、創価学会や正信会さらには顕正会等を次々に破門に処し、
更には正本堂や大客殿等々信徒のまごころで寄進した建造物を殆ど破壊
するというアナクロニズム的な暴挙に打って出る始末です。

しかしながら、かつては創価学会や正信会さらには顕正会等もそのよう
な体制内言語を当然としていたのですから、皮肉な結果ではありますが
今も創価学会や顕正会もそれぞれの長を絶対化するという同じ過ちを犯
しているわけですから、その意味で富士宗門全体が言語(教学)を含め
て現体制を一度解体して出直すことが肝要であり、そうでなくては何時
までも<悟りを訊ねあうゲーム>を終焉させることは出来得ないであり
ましょう。

もっとも、<悟りを訊ねあうゲーム>つまりは<言語ゲーム>に終焉は
もともとあり得ず。人間にとって「悟り」などありえないとする言語も
あり得るのかも知れません。


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