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六巻抄について

172管理者:2005/02/13(日) 12:51:03

1962 名前: 犀角独歩 投稿日: 2005/02/10(木) 18:13:41

―1961からつづく―

これこそが、六巻抄のもっとも言いたい点でしょう。

下種三宝 ― 仏・日蓮聖人、法・戒壇之本尊、僧・興師-目師-歴代諸師

ここから、読み戻っていくと、六巻抄の真の趣旨は理解できます。

「此くの如き(下種)三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし」とは、つまり、唱題の一念を具体的に限定しているわけです。ただ、ひたすらに日蓮本仏・戒壇之本尊・興目歴代を念じる唱題をして一生を送れというのです。

ここで注意すべき点は、寛師教学は有師已来の日蓮本仏思想を集大成したものであるという点です。もっとも疑われる点は派祖本仏思想、あるいは代官思想なのであって、要師がいう「大聖冥益・当住顕益」思想が、その奈辺にひそんでいると疑う必要があると思います。

下種三宝を一歩進めるとき、唯受一人・興目両尊から連なる歴代住職(法主上人猊下)は日蓮本仏の内証を相承し、戒壇之本尊と不ニの尊体であるという、いわば法主本仏論が、実は本音の結論ではないのかと思えるわけです。

つまり、六巻抄とは、日蓮聖人・戒壇之本尊・興目両尊という聖滅400年に積み重ねられた権威の一切を石山住職が一手に握ることを宣言した書であると見るべきです。この結論を見るとき、冒頭の三重秘伝などという美名は吹き飛んでしまうと私には感じるのです。

もちろん、このような思想が聖人の祖意に見られるはずはありません。


*** 転載おわり ***


以上のような議論は既に畢えたものですから、既に寛師の過誤は、当板では既に一掃されたものと思っていました。寛師の文は、愚鈍凡夫さんも・早坂師も、ご指摘されるとおり、実に引用がいい加減で、さらにひどい理論の展開(牽強付会、短絡、決め付け…)で、読むほどに、立腹を通り過ぎ、半ば呆れ嘲笑する愚論です。実に読後感の不快なものであるといえるでしょう。学者としての真面目さがまるで感じられません。なんで、こんな書がもてはやされるのか、首を傾げざるを得ません。

結局のところ、日蓮本仏・彫刻本尊と併せ、他山の相伝を寄せ集めて、自山顕彰して恥じることもなく、なにより、日蓮本仏・興師正嫡は、結局のところ、それを継承する自分がいちばん優れているという何とも困った「臨終お蕎麦」物語で結論を見ています。

近年、石山能化文書で「戒壇の大御本尊と御法主上人猊下は不二の尊体」などといい、学会から反撃を受けて引っ込めてしまった、その思い上がりの基礎は、この寛師已来の倒錯にあるのであろうと思えます。

さらに言えば、「会長本仏論」などの基礎理論も、こうした「大聖冥益・当住顕益」思想のアレンジによって生じたものであろうと観察します。

しかし、このようなものを手に取って、いまだに戒壇建立などというもはや潰え去った近代の妄想が、罷り通っていることには、嘆息を禁じ得ません。

以上、長々と書きましたが、愚鈍凡夫さんのご投稿は実に、簡潔に整理され、同書の問題点を突いたものであると敬服するものです。


1963 名前: 真実 探求者 投稿日: 2005/02/10(木) 18:50:10

、、御免下さい、。 続々とヒットされました貴重な御発言には「、、スッゲーーー、、、」と再々も、いとわず申し上げる御無礼をお許しくださいませ、、。 真実の探求に百万万歩ほど近ずいたような、実感が致します、、。 多大謝謝、、!! 早々、、。


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