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六巻抄について

17独歩:2002/02/27(水) 16:12

問答迷人さん:

> 師の曰わく、本因初住の文底に久遠名字の妙法事の一念三千を秘沈し給えり云云。』
と述べていますが、この原文は、何処…

実は私もわかりませんでした。当流の深秘の相伝だというのではないでしょうか。

早坂師は、この文に

「本因初住」では、本因の菩薩の位の事であり、
我本行菩薩道所寿命。今猶未尽。復倍上数。
と、説かれる本因妙のことであり、「文底」の意味不明瞭ではないか。
寿量品で一念三千の理論が完成するのは、国土世間が明示されてからである。このことからすると、問いの答えに該当せず、日寛の的外れの解釈である。(『六巻抄』に関する一考察(530頁)

と難じています。
この批判は的を得ています。そもそも「本因初住の文底に久遠名字の妙法事の一念三千を秘沈し給え」とはなんでしょうか。本因妙の「我本行菩薩道所寿命今猶未尽復倍上数」の菩薩という菩薩を現す文の底に名字妙法事一念三千が秘沈しているというのでしょうか。これでは国土世間によって殊極まるはずの事一念三千がそれ以前に成じていることになります。本迹勝劣を高飛車に述べながら、これでは本迹一致とすら見えます。寛師教学は天台の本・事を迹・理とし、ただ聖人のみが真の本・事であるというのに、あにはからんや、国土世間を待たず

また、続く名字妙法事一念三千とは、すでに天台の事一念三千ではなく、寛師己義の一念三千なのでしょう。名字即究竟を説明しているのでしょうが、そもそも、その根拠が曖昧で単に「こっちは五十二位なんか経なくても直達正観」だと掛け声があるばかりです。

それで、言われるところは、この事一念三千とは久遠元初自受用報身如来即日蓮大聖人、即戒壇之本尊、こう信じれば、名字即究竟、直達正観で即身成仏だという枠組でしょう。
名字の言をもってきて、下種にかけるわけでしょうが、実際、この結縁とは久遠元初ではなく、明らかに五百塵点劫であるというのが寿量品の説相です。ここでも矛盾しています。

このような「深秘の相伝」と言われるものは、聖人の教えと違背し、かつ天台の説とも違い、さらには寿量品、すなわち、釈迦牟尼仏の説相とも違う、久遠下種そのものを改変したものであるというほかありません。。


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