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六巻抄について
167
:
管理者
:2005/02/13(日) 12:45:50
1955 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2005/02/10(木) 10:09:26
>>1954
:からのつづき
「開目抄」は1272(文永9)年、「常忍抄」は1278(弘安元)年(学会版では1277(建治3)年)に著されています。6年の隔たりがあります。依文にするには少々無理があるのではないでしょうか。
1273(文永10)年の「観心本尊抄」には、
「一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う、」(「観心本尊抄」学会版P254)
とあります。この文証では、法華経の題目に一念三千が包み込まれていることになっています。
それに、「日蓮が法門」という語彙は、真蹟遺文だけを見ると「兄弟抄(文永12年)」、「常忍抄(弘安元年)」、「法華証明抄(弘安5年)」に見られますが、それ以前の遺文には見られません。
身延に入られてから、ご自身の法門としての意識が強くなったのではないでしょうか。
1956 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2005/02/10(木) 11:17:25
>>1955
:からのつづき
更に、文底秘沈抄に、
「次に人の本尊とは即是久遠元初の自受用報身の再誕末法下種の主師親本因妙の教主大慈大悲の南無日蓮大聖人是れなり。」(富要3-77)
とありますが、これは、
「阿難。若世中有二如來者。終無是處。若世中有一如來者。必有是處(阿難、一世中に二如来有らんは終に是のことわり無し。一世中に一如来有らんは必ず是のことわり有り)」(中阿含心品多界經第十第四分別誦)
の文証とも、
「一一沙弥等。所度諸衆生。有六百万億。恆河沙等衆。彼佛滅度後。是諸聞法者。在在諸佛土。常與師倶生。(一一の沙弥等の度する所の諸の衆生、六百万億恒河沙等の衆あり。彼の仏の滅度の後、是の諸の聞法の者、在在諸仏の土に常に師と倶に生ず)」(妙法蓮華經化城喩品第七)
の文証とも、反するのではないでしょうか。
一世界に一如来が仏教のルールではないでしょうか。蓮祖が次のように述べられているのは、この義をふまえた上でのことと推察します。
「ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる、親も親にこそよれ釈尊ほどの親師も師にこそよれ主も主にこそよれ釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ」(「南条兵衛七郎殿御書」学会版P1494)
日寛師の先の文を解釈すれば、娑婆世界に「釈迦牟尼仏」と「日蓮大聖人」という二人の仏を認めるという奇妙なことになりませんか。
日寛師の次の文は、蓮祖の「ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる」との仰せを無視しているように思います。
「問て言く教主とは應に釈尊に限るべし何んぞ蓮祖を以って亦教主と称するや、答ふ釈尊は乃是熟脱の教主なり蓮祖は即是下種の教主なり故に本因妙の教主と名づくるなり、」(富要3-80)
この文の続きに、
「應に知るべし三皇五帝は儒の主なり無畏三蔵は真言の教主なり天台大師は止観の教主なり、今吾蓮祖を以って本因妙の教主と称するに何の不可有らんや、」
とありますが、思わず「なんじゃ、こりゃ」と呟いてしまいました。
蓮祖を本因妙の教主とする理由になっていません。
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