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六巻抄について

166管理者:2005/02/13(日) 12:43:38

1954 名前: 愚鈍凡夫 投稿日: 2005/02/10(木) 09:22:46


無徳さん、ご無沙汰しております。レス有り難うございました。
島田師の講演会、行かれたのですね(羨ましい)。

小生の拙い教学で、何処まで論じられるか分かりませんが、間違いがあれば御叱責下さい。

日寛師は、三重秘伝抄に
「今謹んで案じて曰わく、一には爾前は当分、迹門は跨節、是れ権実相対にして第一の法門なり。二には迹門は当分、本門は跨節、是れ本迹相対にして第二の法門なり。三には脱益は当分、下種は跨節、是れ種脱相対にして第三の法門なり。此れ則ち宗祖が出世の本意なり、故に日蓮が法門と云うなり。今一念三千の法門は但文底秘沈と曰う、意此こにあり、学者深く思え云云。」(「三重秘伝抄」富要3巻P13)
と、開目抄の「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり、竜樹天親知つてしかもいまだひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。」(「開目抄」学会版P189)
の文証を五重相対の権実・本迹・種脱の三重に配して展開されていますが、果たしてそのような意味で、蓮祖は言われているのでしょうか。
小生は、「法華経の寿量品に三妙合論が説かれ、その意義を天台大師が一念三千へと結実させた」と言っているように思います。
「故に日蓮が法門と云うなり。今一念三千の法門は但文底秘沈と曰う、」
とありますが、一念三千は天台大師の理論であって、蓮祖の理論ではないのではないですか。
蓮祖は「但我が天台智者のみこれをいだけり。」と仰っています。一念三千が「日蓮が法門」であるとは言っていません。
更に、蓮祖は先の開目抄の文証の後に「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(「開目抄」学会版P189)と展開されています。種脱義には触れていません。
そして、「我が身にもさもやとうちをぼうる事は二乗作仏久遠実成なるべし、」(「開目抄」学会版P191)とありますから、権実・本迹の意義を含んでいるとは思いますが、種脱義が「第三の法門なり」とも、「日蓮が法門」とも述べられていません。
日寛師は、「開目抄」の一説と次の「常忍抄」の一説を合体させて論を進められているのではないでしょうか。
「法華経と爾前と引き向えて勝劣浅深を伴ずるに当分跨節の事に三つの様有り日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台妙楽伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、」(「常忍抄」学会版P981)
同じ常忍抄に、
「此の法門に於て如来滅後月氏一千五百余年付法蔵の二十四人竜樹天親等知つて未だ此れを顕さず、漢土一千余年の余人も未だ之を知らず但天台妙楽等粗之を演ぶ、然りと雖も未だ其の実義を顕さざるか、伝教大師以て是くの如し、」(「常忍抄」学会版P981)
とありますから、「日蓮が法門は第三の法門なり」とは法華経の題目、即ち、「南無妙法蓮華経」を指すのではありませんか。
要するに、「一念三千」の観法ではなく、唱題行であるとの意味ではないでしょうか。
「又正像末の不同もあり摂受折伏の異あり」(「常忍抄」学会版P982)
とありますから、勝劣の立場ではなく、時期相応の行という立場で「日蓮が法門は第三の法門なり」との仰せではないでしょうか。


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