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六巻抄について

114独歩:2002/04/06(土) 08:30

112までに、自受用について考えたのですが、富士門では…というより中古天台口伝では、この語は自受用報身如来として成句するわけです。

『一帖抄』(惠心流内證相承法門集)には

自受用報身如來。以顯本爲正意也。…山家大師釋云。一念三千即自受用身。自受用身者出尊形佛文以此道理以報身爲正意習也

とまったく富士義のように扱われる文章がそのまま現れています。
仙波における口伝では自受用報身如来とは天台を呼称することを秘密裏に伝えるといいます(早坂説)。これが富士においては日蓮を指すようになる故、中古天台本覚思想慧心流口伝の“焼き直し”であると見るより他、ないことになります。

なお、富士では日蓮の本地を“久遠元初自受用報身如来”と成句するわけですが、この久遠について、御義口伝には

久遠とははたらかさず、つくろはず、もとの儘と云ふ義なり。無作の三身なれば初めて成ぜず、是動(はたら)かさゞるなり。

と言います。御義口伝、つまり聖人の口伝であるという「久遠の事」の一節は、実は尊舜(1451-1514)『文句略大綱私見聞』巻五に

所詮 久遠ト云ヘバトテ、過去ノ久遠ノ義ニ非ズ…サレバ久遠ノ文点ヲ久遠(モトノマヽ)トモ 久遠(ツクロワズ)トモ読む也

と言います。ほぼ全同の中古天台義が、富士では聖人の言としてもっとも尊重される御義口伝に座を占めているわけです。

次の久遠元初は、富士では特に弘安2年10月の述作と周到な『三世諸仏総勘文教相廃立』の

釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき

の一節の釈迦如来を日蓮大聖人と読み直したうえで「当初」を強調するわけです。これは釈尊五百塵点成道已前をいうものですが、この原形は、『等海口伝抄』第十二の

“五百塵点最初”実成時分 云本実成 云顕本也。

と見れるわけです。

以上のことから、祖師を自受用報身如来と見たてることは慧心流口伝の天台=自受用報身如来の転用であるとともに、久遠・当初もまた、その転用・転訛であることが知れるのであって、このような説を日蓮已来の口伝・相伝であるとする寛師教学は、まったく叙用に耐えないというほかありません。


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