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六巻抄について
11
:
無明
:2002/02/21(木) 12:18
続き
「しかして「観心本尊抄」に説く観心本尊とは信仰の世界に現れた「久遠実成の本佛」にして、これを「本尊抄」には『五百塵点乃至所顕三身無始古佛』とも、或いは『五百塵点已然の佛』とも云うのであって、いわゆる「本門の教主釈尊」であり、更に剋実して云えば「本門の観心たる妙法蓮華経の教主釈尊」を指すのである。」
「これは「開目抄」に『壽量品の佛』と云い、『久遠の佛』と云い、或いは『久遠実成の佛』と云う佛にほかならない。 中略 「観心本尊抄」に現れた日蓮の佛身観は「開目抄」の佛身観と全く同一基調の思想に立つものと云うことができる。」
「中古天台の説く佛身観は、法界縁起の一大円佛論であり、あるいは唯心縁起の理神論である。
ところで「本尊抄」に現れたる佛身観は、かかる一大円佛でもなく、また理神的存在でもない。
それは我等の己心に内在して、しかも相対的に絶対者として、超越的に存在する事佛であって、帰依渇仰すべき対象である。
しかしてこの本仏を「我本行菩薩道」の誓願に酬いて無始以来より三世成恒に、毎自悲願の救済を垂れて止まざるところの、久遠実成の佛であると見るのである。」
山川智応師の「日蓮主義の信仰」から引用します。
「日蓮聖人の教義は、理よりも事を重しとし、法よりは佛を重しとする。そしてその佛は無始の佛である。天台の云うような五百塵点劫の始覚という始めのある佛でなく、無始無終の佛である。そこに旨帰がある。」
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