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六巻抄について

100Libra:2002/03/29(金) 18:46
―99からつづく―

> なお円道師の田村師の法身に対して、『法華文句』寿量品釈の「報身正在」を説くのは
> 尤もなのでしょう。私はこの点を本尊の選定面から読むのですが、これは違うのでしょ
> うか。

 ここは、<「教主釈尊」と「無始古仏」の差異>の問題とも関係するところかもしれま
せんね。

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   独歩さんが仰るように、宗祖は言葉を厳密に使われる傾向が強いと思いますので、
  「無始古仏」と「教主釈尊」は意識的に区別して用いられているのかもしれません。
   その場合、問題は、それらの間の「差異」ということになりますが、法身(〝無始〟
  無終)までも視野に入れた三身全体を「無始古仏」と呼ばれ、特に智慧の側面である
  報身(〝有始〟無終)に着目する時に「教主釈尊」と呼ばれている、という考えは成
  り立たないでしょうか。つまり、一尊四士の「一尊」は「無始古仏」で、曼荼羅の
  「妙法蓮華経」は「教主釈尊」である、というふうには考えられないでしょうか。

    拙文「本尊論メモ」、〔01.12.10付記〕
    http://www.be.wakwak.com/~libra/z013.htm#fuki011210

  (「犀角独歩さんとの対話」、http://www.be.wakwak.com/~libra/z021.html
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 「本尊の選定」についてですが、浅井円道氏は、創価学会で説かれている「宇宙生命論」
について、

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  また宇宙の大生命とは「宇宙自体がすでに生命そのものであって」太陽も地球も星く
  ずもアミーバも大生命体の部分的発現に他ならぬという。非常に荘大華麗な構想であ
  り、人を天文学的夢幻境に誘うに充分であるが、これは法界を身体となす毘盧遮那法
  身仏思想の通俗化である。

  (浅井円道「創価学会の出現と問題点」、望月歓厚編『近代日本の法華仏教』〔法華
    経研究Ⅱ〕、平楽寺書店、1968年、p. 173)
  ──────────────────────────────────────

と言われています。確かに、このような「密教的法身を中心とする」仏身論によって、現
在の創価学会のような密教的本尊観が成立しているのだろうと思います。

  勤行─大宇宙と自身の生命交流の儀式(「やさしい教学」『聖教新聞』)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/063.htm

  大宇宙即御本尊(戸田城聖・池田大作)
  http://www.be.wakwak.com/~libra/064.htm


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