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明石中宮さまの殿舎について・・・

1空子:2006/02/15(水) 00:36:09
初めまして。
質問なのですが、明石の姫君は女御として入内なさったときに、桐壺を賜りましたが…
中宮に御立后あそばされた後にも、そちらのほうへと御住まいになられたのでしょうか?
桐壺は、どのように考えても、更衣様・女御様の御住まいになる殿舎であり、物語の中ではありますが、
時の今上にこの上なく寵愛された明石中宮さま程の方が、いつまでもそこに御住みになられていたのでしょうか?
それとも御立后の折、もしくは東宮様が即位なさった折に、もっと清涼殿近くの殿舎へお移りになったと考えるべきなのでしょうか?

2たー坊:2006/02/15(水) 01:39:15
源氏の娘というのと中宮および立后した者となので住む場は清涼殿の近くなど
にする事が自分の意で出来たとは思いますが物語中では他の局へ移ったという
項目はありません。
彼女の父親の母親が居た局でもあった事と源氏が淑景舎(桐壺)への出入りが
認められていたり、管理(曹司)していた局だったので、移っていないと考え
られます。

今回のご質問に対する回答をするにあたり、下記ページを一部参考にしました
。下記ページに関係なさっている方はプロの方ですので確証性はあると思われ
ます。
http://eva.genji.cc/dairi/dairi-sigeisya01.htm

3まくら:2006/02/17(金) 11:04:11
私も明石の女御が入内したときに、どうしてわざわざ桐壺を選んだのか理解できませんでした。
かつて源氏の母の桐壺の更衣が、清涼殿に通うのに遠くて通うにもご苦労なさったことを思えば
わざわざ端の端を選ばなくても、弘徽殿か藤壺あたりが妥当な場所ですよね。
近い舎が万が一埋まっていたにせよもう少し清涼殿に近い場所はあるのに、なんでまた一番遠いところを
選ぶのか・・・源氏の自信の表れなのでしょうかねえ。

4空子:2006/02/18(土) 23:52:27
まくらさまへ
明石の姫君が、入内したときには東宮様は、梨壺に住んでおられました。
梨壺と桐壺はそこそこ近い位置にありましたので、その当時は桐壺を選ばれたのであると思われます。
それにしても、やはり母がいた殿舎であられるゆえに、そうとうな思いいれがあったやもしれませんね。


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