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朝鮮分断の責任

84GREEN </b><font color=#FF0000>(n/Hs7u9w)</font><b>:2003/12/12(金) 19:07
>kukuさん

>幕府は呆れる程保守的で近代技術の導入には不熱心・・・
これには同意です。
ただ私が思うに、現在(技術革新≒経済発展)からは相反しますが、
江戸幕府は南雲氏
(ま〜「当方(南雲氏)の見当違い」と述べられてますので間違いだったとお認めになったと思ってはいますがw)
の言われるように、意図的な経済停滞を起こしていたとは到底思えません。
結果的に経済停滞を起こしてしまったとしても、必死に経済発展を目指していたと考えます。
それこそ失敗・成功は別として、「天才」と言っていいほどの経済手腕を持つ人物も排出してますしね。
また文化的な面の隆盛は目を見張るものがあり、
本の出版・浮世絵、歌舞伎等の娯楽の発展・識字率の上昇
武士道などの哲学(これは、生産に携わらなかった暇人侍がいたからこそですがw)
商取引等の発展、流通体制の整備、貨幣価値の東西融合(ここで言う東西は江戸と大阪)などなどetc・・・。
一定の経済発展が伴わなければ、出現も発展も遂げれなかったものばかりかと。

>狂獣太郎さん
>例えば参勤交代などはいかがでしょう?
確かに、徳川治世を存続させるために諸大名の財政状況を意図的に圧迫させたものではあります。
しかしながら、これは現在で言ってみれば、公共事業の一端みたいなもので、
諸大名の財政に対しては無駄な出費そのものですが、
その参勤交代にかかる、宿泊費・飲食費等の出費が藩内にとどまらず、
他藩や街道沿いに金をばら撒き続けさせたようなものですw
結果、資金の流通が刺激され、多大な経済への影響が見込めたと考えます。
また、自分の藩外での商取引になるわけですから、
藩独自の通貨ではなく幕府通貨の使用が必須となり、
貨幣の統合が促進されました。
幕府は、諸大名に対しては経済的に押さえつけましたが、
全体的(一般ピーポー)に対しては、大商人等の出現でもわかるように、
経済停滞を望んでいたとは考えられません。

一番重要な点として、経済力=軍事力です。
「日本経済停滞」=「徳川幕府の弱体化」ですから、
それを意図的に狙うわけがないかとw

で、私が聞きたいのは、南雲先生は「当方の勘違い」と述べられましたので、
歴史の上での最も重要な要素の「経済」に対する考え方が間違っていたわけですから、
それを踏まえて封建社会に対する考え方がどう変わられたのかを知りたいわけです。

・・・普通変わりますよね皆さんw


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