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朝鮮分断の責任

60GREEN </b><font color=#FF0000>(n/Hs7u9w)</font><b>:2003/11/27(木) 12:16
>>59さんの指摘により、流れを久しぶりに確認w。

以降1945年の流れ、

----ソ連(スターリン)の動き----
7/13 日本が終戦斡旋依頼のため近衛文麿の受入を要請してくる
7/16 ポツダム到着:極東軍総司令官ワシレフスキーに電話、対日参戦の時期を相談
7/17 トルーマンと面会:8月中旬にソ連は対日参戦することを伝える
7/18 トルーマンと面会:日本がソ連を通して終戦を模索していることを示す昭和天皇からの親書のコピーを見せる
このときの言葉。「日本に対しては、提案の意図がわからないとコメントした上で、ごく一般的なはっきりしない回答を与えて、警戒心を鈍らせるのが良いと思うが、いかがでしょうか」
(※出典知らねえ〜w)
(※ちなみに、日ソ不可侵条約は、翌46年4月まで有効)

7/25 日本がモスクワ大使館通じ、近衛文麿の特使派遣の再度受入を要請するも何の返答もせず
7/26 米ソの参謀長会議で、極東での両国軍の事境界線が話し合われる
7/26 ポツダム宣言のなかにソ連が含まれないことを知る。
(※含まれないと、中立破棄しての対日戦の大義名分が得られない)
8/5 満州との国境から50キロの地点に部隊が集結させる
(※この日までに8/11が参戦予定日となっていた)
8/6 広島に原爆投下される
8/7 日本の佐藤大使が外相のモロトフに面会の申込む
(※これにより原爆投下後も、ソ連の調停に希望を繋ぎ、まだ降伏する意思がないことを確認
(※これを受け8/11の参戦予定日が8/9に繰り上げられる)
8/8 佐藤大使、モロトフに面会するためにクレムリンを訪問、これに対しモロトフは日本への宣戦布告を読み上げる
(※参戦理由はポツダム宣言の拒否をあげる・・・宣言のなかにソ連入ってないんだけどね〜)
8/9 ソ連極東軍、国境を越え攻撃開始
(※佐藤・モロトフ会談の1時間後の出来事)
8/9 長崎に原爆投下される
8/14 日本はポツダム宣言受諾
(※これにより米軍は停戦命令をだすがソ連は侵攻を続ける--北海道占領計画のため--)
8/22 アメリカの強硬姿勢により北海道占領計画を破棄、部隊を北方領土へ転戦、全千島を占領
その後、日本兵のシベリア移送開始
(※これは、「ポツダム宣言第9条:兵士を速やかに祖国に帰還させる」に明らかに違反した行為。)
9月2日、日本は降伏文書に正式調印

昔の資料引っ張り出して再点検・・・これが大まかな流れのはずw

>停戦交渉を引き受けておいて油断させてから条約を破って侵攻してきた

のではなく、引受or拒否も返答せず(って拒否路線確定の上だが)油断させておいて条約を破って侵攻してきた
ってことですな。

>江戸時代の経済停滞ですが、もしかしたら徳政令などの借金棒引きの法令のことを言っているのではないでしょうか。
>あるいは、税の金納を認めずに米にこだわっていたことかもしれません。

それが意図的な経済停滞に当たるとはとても思えませんが、
回答無いので再度掲示。

南雲先生!
>勉強して知恵もつけてはむかってきたら困る
ので、意図的に経済を停滞させることもあるのです。

江戸時代における、「意図的」な経済停滞・・・
教えていただきませんか?


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