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従軍慰安婦について

150指環 </b><font color=#FF0000>(wUDH2Y5M)</font><b>:2003/10/29(水) 10:31
>Doronpaさん

>慰安所自体の目的を考えれば、
>決して今で言うような、単なる性欲開放の場だけの意味ではなく、
>将兵の戦地での暴行強姦を防ぐという目的もあったようです。
>この点からも、慰安所の設置そのものが一概に間違っているとは言えないと思います。

 軍が慰安所制度を作った主要な理由が強姦の抑止であったことは間違いないでしょ
う。即ち、日中戦争では占領地での日本軍将兵による強姦事件が多発し、中国人の激
しい憤激を呼び、占領政策に支障を来すようになりました。このため慰安所設置を推
し進めることになったのです。
 例えば、北支那方面軍参謀長岡部直三郎による「軍人軍隊ノ対住民行為ニ関スル注
意ノ件通牒」(1938・6・27)という軍の文書(吉見資料集所収)では「軍人
及軍隊ノ住民ニ対スル不法行為カ住民ノ怨嗟ヲ買ヒ反抗意識ヲ煽リ」「強烈ナル反日
意識ヲ激成セシメシ原因ハ各所ニ於ケル日本軍人ノ強姦事件カ全般ニ伝播シ実ニ予想
外ノ深刻ナル反日感情ヲ醸成セル」などとして強姦事件防止の必要性が説かれ、「成
ルヘク速ニ性的慰安ノ設備ヲ整ヘ設備ノ無キタメ不本意乍ラ禁ヲ侵ス者無カラシムル
ヲ緊要トス」と慰安所の設置が指示されています。
 実際、資料に表れる最初の軍慰安所は、1932年の第一次上海事変のものですが、
その後の日中戦争の本格化、とりわけ南京事件以降、慰安所の大量設置が行われるよ
うになります。

 さて、では、強姦事件の防止に本当に役立ったのでしょうか。
 これについて、慰安所制度の考案者であった岡村寧次大将は、1938年の武漢攻
略戦について次のように述べています。

「現在の各兵団は、殆どみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様であ
る。第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様であ
る。」(稲葉正夫編「岡村寧次大将資料」上巻・戦場回想篇、原書房)

 また、国府台陸軍病院附軍医中尉早尾盾雄による「戦場ニ於ケル特殊現象ト其対
策」(1939年6月)という文書(吉見資料集所収)には次のようにあります。

「軍当局ハ軍人ノ性慾ハ抑ヘル事ハ不可能ダトシテ支那婦人ヲ強姦セヌ様ニト慰安所
ヲ設ケタ、然シ強姦ハ甚ダ旺ンニ行ハレテ支那良民ハ日本軍人ヲ見レバ必ズ是ヲ怖レ
タ」

 このように慰安所設置は強姦事件防止に殆ど役立たなかったのが実態でした。そし
て、むしろ慰安所政策はしだいに占領地の女性を銃剣を突き付けて軍施設内へ連行し
て監禁して継続的に輪姦するという形態に変化していきました(フィリピンでの例な
どが典型です。)。つまり、しだいに慰安所設置が当り前になり、そのために占領地
の女性を無理やり「慰安婦」にするというようになっていったわけです。即ち、当初
は強姦防止のために慰安所を作ったはずだったのですが、どこからどこまでが慰安所
で、どこからどこまでが強姦なのか区別がつかない状態になっていったのです。
 分かり易く言えば、強姦の頻発→強姦防止のための慰安所設置→慰安所設置が常態
化→「慰安婦」調達のための女性拉致、となっていったわけです。つまり、慰安所設
置がかえって新たな強姦事件を拡大生産していったと言えるのです。慰安所設置の目
的も、最初は強姦防止だったのが、しだいに単なる軍人の性欲を満足させるためのも
のに変わっていきます。強制売春と強姦が本質的に同じである以上、そうなるのは必
然でしょう。




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