したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

【大石寺教学の研究】質疑応答は此方で

7直人:2004/11/10(水) 20:04
>>6の続き

 板曼荼羅の筆体は首題はおおむね弘安三年五月のもの、「不動明王」は弘安三年五月のも
のよりも弘安三年四月のものに近い。ところで、問題はどの御筆御本尊が原本となったかという
ことである。山口範道氏の「大聖人御本尊宝量」によれば、大石寺には現在、八幅の御筆御本
尊が現存するようであるが、問題の弘安三年四月、五月の御本尊は一幅しかない。この御本尊
は「弘安三年太歳庚辰卯月日」に日禅師に授与されたものとされているが、「卯月日」は山口氏
の誤記であろう。ただ、大石寺は1569年の諸堂焼失、1631年の諸堂焼失、日典師の時代の大
坊焼失と火災に見舞われているのでこの時に原本たる御本尊が焼失してしまったものかもしれ
ない。
 「経」字の旁を「フ」の如く記す筆法や「不動明王」が「く」の如く記し「大廣目天王」の「大」字
と接する筆法が日時師の書写本尊に見られる点は、日時師書写本尊の原本が弘安三年のも
のであったことを語っているように思う。かかる推論が許されるならば、日時師が弘安三年四月
〜五月の御本尊を中心に再治したことは推定に難くない。では、板曼荼羅はの原本は日禅授
与本尊であろうか。否である。板曼荼羅と日禅授与本尊は「華」「経」が著しく相違し、板曼荼羅
の筆体は日禅授与本尊よりも妙海寺蔵のものに近く、別幅の妙海寺型の御本尊があったので
あろう。
 ところで、弘安三年の御本尊には所謂「紫宸殿本尊」も含まれている。この御本尊は本来、門
弟の誰人かに授与されたものであったが、察して云えば日時師が新たな重宝を形成する過程で
授与書を抹消し「紫宸殿本尊」へと祀り上げたものと思う。その当時、本門寺建立と国主帰依は
一体であったからである。こうして本門寺建立時の本尊(「本門戒壇之大御本尊」)と皇室献上
用の本尊(「紫宸殿本尊」)が成立したものかもしれない。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板