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【大石寺教学の研究】質疑応答は此方で
17
:
直人
:2005/01/05(水) 19:18
>>16
の補注
〔『五人所破抄見聞』の著者〕
『五人所破抄見聞』は従来、妙蓮寺五代・日眼師の著書とされてきたが、この説に対して、宮
崎英修教授は奥書の識語・伝奏の記述から西山八代・日眼師と推定された。しかし、私は著者
を西山日眼師とすることは難しいと思う。西山日眼師の著書として『日眼御談』(成立年代不詳)
があるが、両巻血脈抄の引用を見ることができない。ところで、『五人所破抄見聞』には、
日興も寂を示し玉ひ次第に譲り玉ひて当時末代の法主の処に帰り集る処の法華経なれば
法頭にて在す也(宗全2−P515)
といい、妙法が代々の法主に伝わるというのである。こうした所謂「貫首絶対論」は日教師の大
石寺帰伏後の著書である『類聚翰集私』は長享二年(1488)、『六人立義破立抄私記』延徳元年
(1489)にしばしば見られる思想である。しかし、西山日眼師はこれに先立つ文明十八年(1486)
に寂している。この点から、西山日眼師を著者とすることは難しい。
仮令、両巻血脈抄が日教師の大石寺帰伏後直ちに西山に伝わり、つまり、『日眼御談』成立
後、文明十八年までの間に成立したとする考えもあるかもしれない。けれども、『五人所破抄見
聞』を読めば、両巻血脈抄の引用が見られるが決して正確に引用しているとは言えない。
これらの点から、私は『五人所破抄見聞』の著者を次のような人物と考える。
○ 両巻血脈抄の眼福を得なかった人
○ 日教師の学説の影響を受けつつ、日教師の著書を見ず−伝聞して記した人
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