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門下・門流史関係

81直人:2004/08/12(木) 06:20
>>80の続き

 創価学会における他教団批判は昭和22年頃から行われ、同年3月2日には法華宗獅子吼
会本部に青年部員が乗り込んで法論を仕掛けている。また悪質なところでは開催された国
柱会の講演会(於・読売ホール)において講演を妨害し、智学居士を悪罵したりしている。
 昭和26年、『折伏教典』が刊行されると他教団への批判は激しさを増してゆく。創価学会
は『折伏教典』において、

  今日末法の時は釈迦仏の時ではないのである。釈迦の法はもう死んだ法で何の利益
  もないのである。(『折伏教典』[昭和36年版]P99)
  釈尊出世の本懐である法華経でさえも、末法の今日にはまったく力がなく
  (『折伏教典』[昭和36年版]P136)

と云い、末法においては法華経は無益であるとして、

  釈迦の仏法は法華経二十八品であり、日蓮大聖人の仏法は「南無妙法蓮華経」の七
  字の法華経である。(中略)日蓮大聖人が末法の御本仏であらせられる
  (『折伏教典』[昭和36年版]P104)

と云い、宗祖を本仏とし、「釈尊脱仏・宗祖本仏」の立場から法華経二十八品を末法無益
とするのである。かかる教学理解は平成三年に創価学会が大石寺から破門されるまで一
貫していたものであった。
 平成七年、『大白蓮華』において池田大作氏と教学陣(斎藤克司氏、遠藤孝紀氏、須田
晴夫氏)によって「法華経の智慧」と称するてい談が行われている。『法華経の智慧』は宗
祖本仏が貫かれながらも、同書には、

  須田 大聖人は法華取要抄で、法華経は本門も迹門も〝釈尊滅後の衆生のために〟
  説かれたのであり、なかんずく〝末法の衆生のため〟であると結論されています。さら
  に末法の中でも〝大聖人御自身のために〟説かれたと仰せです。
  名誉会長 「釈尊滅後の衆生のため」「末法の衆生のため」。ここに「一切衆生のため」
  という法華経の慈悲がこめられている。法華経では「一切衆生の成仏」が仏の一大事
  因縁、すなわち、仏がこの世に出現した、最大で究極の目的であると説かれている。
  滅後の衆生、特に末法という濁世の衆生を救わなければ、その理想は叶えられない。
  だから滅後の衆生のための仏の教えを説かないはずがない。そのための慈悲の経典
  が法華経です。(『法華経の智慧』1−P62〜63)

ともある。釈尊の仏法が法華経二十八品であり、法華経が釈尊滅後の為に説かれたとす
るのであれば、「釈尊脱仏」「法華経末法無益」とすることは許されない。
 かつての『教学の基礎』には、

  大聖人は「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべ
  し」(御書一五四六㌻)と仰せになり、末法の現在では釈尊の説いた最高の経である
  法華経ですら成仏の法ではないことを明かされています。
  (『教学の基礎』[昭和61年版]P87)

とあったが、平成14年に再刊された『教学の基礎』には、

  法華経は釈尊滅後の衆生のために説かれた経典です。万人の成仏を実現するため
  には、仏が自分の在世において衆生を救うだけでは足りません。滅後の衆生のため
  に成仏の法を顕し、それを伝え、弘めていかなければなりません。法華経は、まさに
  滅後の救済を主眼とし、そのための法と使命と実践を説いたのです。
  (『教学の基礎』P71〜72)

とあって、従来の「法華経末法無益」から「法華経末法正意」へと変遷している。この記
述は『法華経の智慧』をうけたものであることは想像に難くない。
 「法華経の智慧」が完結すると、池田氏は教学陣(斎藤克司氏、森中理晃氏)と「御書
の世界」と称するてい談を行っている。さきに述べた如く池田氏は『法華経の智慧』では、
「法華経末法正意」を展開しているが、「御書の世界」では、

  名誉会長 御書は末法の経典です。大集経に「闘諍言訟・白法隠没」とあるように、
  末法は、釈尊の仏法の中で混乱が極まり、民衆を救う力が失せる時代であるとされ
  ています。(『御書の世界』1−P6〜7)

と云うのである。これは『法華経の智慧』における「滅後の衆生のための仏の教えを説か
ないはずがない。そのための慈悲の経典が法華経です」という発言と全く相反するもので
ある。

[この稿、続く]


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