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門下・門流史関係
43
:
直人
:2004/06/24(木) 07:59
>>37
の補注
ところで、「富士門家中見聞中」には、
日興御さくの釈迦一そん一ふく(富要5−P213)
とあって、日興上人が造像したことを伝えている。しかしながら、この記述は正しくない。なぜなら、
日尹師は「日代上人に遣す状」において、
富士門流ども、出家在家の人来て難じて云、凡そ聖人の御代も自ら道場に仏像造立の義無
し故〈日興〉上人上野〈日目〉上人の御時も造立無きをや(宗全2−P408)
と伝えているからである。造像思想が明確に認められる日興上人であるが、日興上人は広宣流
布が成されるまでは大曼荼羅を安置するという立場であったから、信徒には条件付きで造立を
認めても自らは造立しなかったものであろう。
「釈迦一そん一ふく」が釈尊一体仏でなく四菩薩の添加された一尊四士であったならばその
造立者はおそらくは日道師であったと思う。それは、「五人所破抄」伝日時本には「執者尚強欲
致帰依須加四菩薩敢勿用一仏」の十八字がなく、上代と比べて造像思想が比較的薄まってい
ること、日時師の時代には大石寺門流においても宗祖本仏思想が形成されていたと思うからで
ある。とすれば、造立者は日道師・日行師の何れかということになる。日行師の本尊思想は今
日の史料からは窺えないが、しかし、日道師の本尊思想は日興上人と同様に一尊四士を認め
ており、日道師が一尊四士を造立したことは考えられるのである。それを日精師が日興上人の
「御さく」とすることによって自身の造像思想の正当化を図ったものかもしれない。
ただ、「日代上人に遣す状」は日道師寂後三年の文書であるが、《蓮興目尊…》という日尹師
の系譜からすれば、大石寺日道師の本尊義に言及していなくとも当然と云えよう。
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