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門下・門流史関係
38
:
直人
:2004/06/22(火) 19:46
>>37
の続き
このように日興上人には造像思想は明確に認められるのである。それは日興上人の弟子の
本尊思想からも明白である。
日順師は「本門心底抄」において、
広宣流布せば本門の戒壇其れ豈に立たざらんや仏像を安置することは本尊の図の如し
(宗全2−P346)
と云い、日代師は「宰相阿闍梨御返事」において、
仏像造立の事、本門寺建立の時也(宗全2−P234)
と云い、日尊師は「尊師実録」において、
日興上人の仰せに云く(中略)広宣流布の時分まで大曼荼羅を安置し奉る(宗全2−P419)
と云い、仏像本尊は広宣流布が成され戒壇が建立されたときであるとするのである。それ以前は
大曼荼羅を本尊とすべしというのが日興上人の基本的な立場であった。しかし、広宣流布が成さ
れていない場合でも条件付きで造像を認められた。すなわち「五人所破抄」に、
執する者尚強いて帰依を致さんと欲せば須らく四菩薩を加うべし敢て一仏を用ゆること勿れ
(宗全2−P83)
とある如くである。かかる思想は「尊師実録」にも見られる。
予が門弟相構て上行等の四菩薩相副ひ給へる、久成の釈迦略本尊、資援の出来、壇越の
堪否に随て之を造立し奉りて広宣流布の裁断を相待ち奉るべき也(宗全2−P420)
日尊師は仏像に執着する信徒にはその造立費用を捻出できる場合にのみ仏像の造立を認める
と云うのである。これは「五人所破抄」にみられる日興上人の教説に基づいたものである。
日興上人の本尊思想は造像は基本的に広宣流布の時、それ以前は大曼荼羅であるが造立費
用があり一尊四士を造立することができるのであれば認めるというのが日興上人の本尊思想であ
る。したがって日興上人の著述に見られる本尊思想というのは次の如く考えるべきである。
「五人所破抄」「富士一跡門徒存知事」は、脇士のない釈尊一体仏、文殊普賢を脇士とした
仏像を批判されたもの。
「與波木井実長書」「原殿御返事」は、造像する場合は上行等の四菩薩を添加すべしと教示
されたもの。
日道師は「御伝土代」において、
脇士無き一体仏を本尊と崇るは謗法の事
小乗の釈迦は舎利弗目蓮を脇士となし、権大乗迹門の釈迦は普賢文殊を脇士となす、法華
経本門の釈迦は上行等の四菩薩を脇士となす(宗全2−P255)
と云い、釈尊一体仏や文殊普賢を脇士とした仏像を「謗法」とは位置づけても一尊四士の造像を
「謗法」としていない。むしろ、日道師の本尊思想は日興上人と同じように上行等の四菩薩を添加
した一尊四士を認めるという立場であったことが「御伝土代」の文から窺うことができるのである。
かくの如く造像、すなわち一尊四士は決して批判されるべき本尊義ではない。むしろ、日興上人
の著述を曲解し日興上人に造像思想はなかったと嘯く今日における大石寺門流の本尊義こそ批
判されるべき本尊義なのである。
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